花を手向けるということ。
 爽やかな柑橘の匂いがした。
 三月下旬、春になったばかりの今ではまだ少し早い。季節外れな気もする、レモン独特の少し苦味を感じさせる清々しい香り。

 それに、あの……全てを見透かして拒絶するような視線……

 今もまだ、鼓動の音が耳にはっきりと聞こえてくる。

 緊張からか、恐怖からか分からない。でも、そんな衝撃的な出来事だった。

 もう会うこともないだろう。無理やり忘れようと頭を左右に振り、木製の看板に表記された矢印の通りに足を進めた。

 ゆるやかな坂をのぼり、建物の中へと足を踏み入れると……

 奥の部屋から五十歳くらいの男性がバタバタと出てき、来客が私だと確認すると、ホッとしたような表情を浮かべて礼を述べた。

「いつもありがとうございます」
楢島(ならしま)さん……」

 いつも花束を注文してくれる楢島さんは、祖父の古くからの取引相手らしい。
 祖父が病気で仕事を辞めたあとも、こうして依頼を頻繁に続けてくれている。

 どんな仕事をしているのかも、家族構成も分からない。
 ただ一つわかっているのは……

 この建物……更生保護施設の運営者だということだけ。

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