花を手向けるということ。

 楢島さんに花束を渡し、軽く頭を下げて足早に立ち去ろうとすと……

「ちょっと、いいかな?」

 慌てた様子で楢島さんは問いかけた。
 いつもはこんなことないのに……突然呼び止められ、思わず肩が跳ねる。

 足を止めてゆっくりと振り返ると、楢島さんはポケットから古びた手帳を取り出した。

「今日は、君のおじいさんのお誕生日……だよね?」

 まさか、私以外に祖父の誕生日を覚えている人がいたなんて思ってもいなかった。
 小さく頷くと、楢島さんは微笑んで「よかった」と呟いた。

「もし良かったら……お茶出しますから、上がってください」

 わたしなんかにご好意でかけてくれた優しい言葉を断れるわけもなく、わたしは「お邪魔します」と呟き、建物の中へと足を踏み入れる。

 ひのきの香りがほんのりと残った、木製の廊下を真っ直ぐ歩くと、和室へと案内された。

 畳の上に敷かれた座布団の上に正座をすると、楢島さんは手帳をわたしの目の前に置いた。

「これは、お祖父さんが私にくれた物なんだ。私が会社をクビになってこの街に彷徨って来た時に……”この手帳には、沢山の苦労と思い出が詰まってる。君はまだ立ち上がれるはずだ”って、この手帳を……」

 楢島さんは急須でお茶を淹れながら、まるで大切な物を見つめるかのような、そんな優しい眼差しで話し始めた。
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