魁星堂へようこそ
月
俺―中川隼人―はいつものようにあてもなく路地裏をブラブラと歩いている。
俺は所詮、ニートと呼ばれる分類だ。去年、大学を卒業し、大手企業と呼ばれる会社に入社したが、あまりにブラックだったからお盆が明け(と言ってもお盆休みというものはなかったが)たタイミングで辞表を出し、会社を辞めたのだ。
それから二ヶ月ほど立ったが仕事をするやる気が出てこないのだ。毎日家の近くのコンビニでバイトはしているものの、正社員の求人は全く見ていない状況だ。
「・・・あ?」
その時、ふと顔を上げたところに初めて見る看板があった。その小さな古ぼけた看板には『書房・魁星堂』の文字。その下には『ここから徒歩十六歩』。
(こんな看板、あったか?いや、今までは一回も見たことねぇし。でも、昨日までなかったとしたらなんであんなに古ぼけてんだ?)
そんな疑問がどんどん湧いてくるが書房、という文字に興味を持つ。そういえば趣味で本を読むなんてここ数年、やっていなかったことを思い出した。
「・・・せっかくだし、行ってみるか・・・」
独り言を呟いて、俺は歩き出した。
「ここ、か・・・?」
二、三分ほどで目的の魁星堂につくことができた。カラカラと音を立てて扉を開けるとその音を聞きつけたのか、奥から店員と思われる少女が出てきた。
「いらっしゃいませ〜」
薄い黄色の髪をハーフツインテールにしている少女は、緩慢な動きで目尻の垂れた黄色の目を俺に向けた。
「おお〜大学生かな〜?あ、でもそれなら今講義?の時間だよね〜?」
「あ、あぁ。去年大学卒業したばかりでな・・・」
「あ、そ〜なんですね〜!さ、どうぞ〜中へ〜」
どうやら少女のこの眠そうな言い方は普段からの言い方らしい。その証拠に、さっきほど目が覚めたようだけど、話し方は全く変わってない。
「お名前は、なんて言われるんですか〜?」
「あ、俺は中川隼人、だが・・・」
「中川さん、ですね〜ボクは南風伊那、です〜」
(あ、ボクっ子なんだ・・・)
そんなどうでもいいことを思いながら中に入った瞬間、空気が変わったような気がした。
「すごい、こんな量の本が・・・」
「ふふ、すごいでしょ〜ここにある殆どが、ここにしかないんだよ〜」
「ここにしか⁉︎」
「そ〜だよ〜じゃあ、中川さんを呼んだ本を探しましょっか〜」
「俺を、呼んだ本?」
俺を呼ぶ、とは一体どういうことだろう。本に意思があるというような言葉に首を傾げる。
「ん。ここに来れるのはね〜本が読んでもらいたい、って思った人だけなんだよ〜」
「・・・?」
全くよく分からなかったがとりあえず伊那さんについてく。
俺が連れてこられたのは三畳ほどの小さな部屋だ。そこには床に変な模様が書いてある以外、何もない。
「あの、これは・・・?」
「これはね〜魔法陣って言ってね〜これを使って、中川さんを読んだ本を見つけるんだ〜」
真ん中に立って、という伊那さんの言葉に従って模様の真ん中と思われるところに立つと彼女はその、まほうじんの外で、俺の目の前に立つとスッ、としゃがんでまほうじんに手をつけた。
「中川さんを呼んだのは、誰かな〜?」
それが合図だった。
伊那さんがそう言い終わった瞬間、床にあったまほうじんが彼女の瞳の色―つまり黄色―に光り出したのだ。
それと同時に彼女の瞳と片耳につけていたイヤリングも同じ色で光り出す。
「・・・ほ〜まさか、貴方が出てくるなんて〜ボクが何度言っても誰も呼ばなかったのに〜」
まるで誰かと会話しているような伊那さんに声をかけることすら、指一本動かすことできない時間が過ぎる。
「ん〜りょ〜か〜い」
伊那さんがゆっくりとまほうじんから手を離すとさっきまで光っていたのが嘘のようにまほうじんも、彼女の目も、イヤリングも元に戻る。
「えっと、こっち〜」
急に歩き出した彼女を慌てて追うとそれほど遠くないところで止まっていた。
「これだね〜」
彼女が差し出した本を見てみる。そんなに厚くない。せいぜい数十ページだろう。絵本みたいだから、内容はもっと少ないんだろう。
題名は『死人のはらわた』
「あ、これってまさか・・・」
「ん〜中川さんの想像通り、ホラーっぽい本だね〜」
「う、ホラー、か・・・」
あまり読んだことのないジャンルに怖気ついてしまう。
「今から、読める時間ある〜?もしないならお仕事終わったあとでも来れるよ〜?」
(・・・)
時計を見るとこの後のバイトまではまだ時間がある。
「あぁ。それなら、今読む」
俺はそう言って近くにあった椅子に座ると表紙を開いた。
昔、ある村にまだ若くて子供のいない夫婦が暮らしていました。
その夫婦はとても貧乏で、毎日食べる食べ物にも困るほどでした。夫は時には仕事を探しに出かけて日雇いに雇われ、時々わずかの金を稼いでいましたが、殆どはいつも何もせずにぶらぶらしていました。
家にいる妻は洗濯をしたり、繕い物をしたりして夫が帰ってきた時、なんとか食べるものを用意しておこうと四苦八苦していました。
そんな状態のある日、とうとう何も食べるものがなくなりました。
妻はどうしようかと思いながら家の近くを歩いて食べられるものを探していました。
すると、ふと家の近くにある墓地が目に入りました。そこではちょうど、ある男が墓地に埋められていました。それを見て妻は、
(そうだ、死人のはらわたを食べれば良い)
と思いました。
妻はその男が埋め終わり、家の人たちが帰ったのを確認してから、そっとその男が埋まっているところまで行きました。
妻は男が埋まっているところを掘り、男を引き摺り出した後、その男のはらわたを抉り取り、男を元のように土の下に埋めてから、はらわただけを自分の家に持ち帰りました。
妻はその男のはらわたを何回も水洗いし、丁寧に火で炙り、親切な隣の女がくれたタピオカの根を水だきに煮込んだものとつけ合わせて夫に出しました。夫婦は食事にありつけたことに安心してこれを食べました。
やがて夜もふけ、二人は床に入って間もなく、戸口をこう言いながらトントン叩く音がしました。
「今日墓地で盗んだはらわたを返せ・・・」
「ねぇ、あなた、誰かしら?」
「心配するな、すぐ帰るさ」
しかし不思議な声は言い続けました。
「俺は帰らないぞ、この家の戸口にいるぞ」
「あなた、いったい誰なの?」
「怖がるな、すぐに帰るよ」
その怯えた妻は恐ろしさで気も狂わんばかりになって、そばに寝ている夫に強くしがみつき、震えながら尋ね続けました。
「あなた、誰なの?」
「心配するな、すぐに帰るよ」
「俺は帰らないぞ、永久にお前を恨み続けるぞ」
そうしてその死体は夫婦の家に入ってきました。
次の日、親切な隣の女が夫婦の家に行くとそこには恐怖に目を引き攣らせて死んでいる夫と、はらわたを抉られて死んでいた妻がベットに倒れていました。
そしてはらわたが無くなったはずの男の死体には、彼のものではないはらわたが腹のなかにありましたとさ。
俺は無言で本を閉じた。その音で読み終わったことに気づいたのか、伊那さんが俺のところへコーヒーを持ってやってきた。
「どうだった〜?あ、これコーヒーね〜」
「あ、ありがとう・・・あの、質問がいくつかあるんだが、いいか?」
「ん〜?いいよ〜」
「まず初歩的かもしれないんだが、はらわたってどこだ?」
「あ〜はらわたは、大腸とか、小腸とかの所の事〜つまり、内臓」
「人の内臓って食べれるのか・・・?」
「食べられないことはないみたいだよ〜実際、死者の弔いとして人肉を食べていた民族もいたみたいだし〜ただ、結構病気になりやすいからおすすめはしないよ〜?」
(いや、食べようと思わないから!)
「後・・・なんで死んだはずの男が動いたんだ?そこが全く意味がわからん」
「あぁ・・・ヨーロッパの方だとね、ゾンビとかいう分類になるのかなぁ〜?もしくは幽霊〜?そこら辺はボクの専門じゃないからなぁ・・・」
「んぁ?ぞんび?ゆうれい?」
「ゾンビはね〜悪魔・・・まぁ、悪いことする生き物〜?その悪魔に操られている人みたいな感じかな〜?幽霊っていうのは〜この世に未練がある人が〜この世に留まっちゃう・・・みたいな感じ〜ボクは見たことないけど、他の店員さんはね、見た事ある人いるよ〜」
「へ、へぇ・・・」
「まぁ、どんだけ理解しようとしても、理解できないものはわかるよ〜で、これ、呼んでみてど〜だった〜?」
急に聞かれた感想に驚きつつも冷静に言葉を紡ぐ。
「あ・・・第一印象は、その、怖い・・・だろ?ただ、冷静に考えてみたら、もしかしたら俺もこうなるかもしれないな、って思った」
「と、いうと?」
「俺も、ニートなんだよなぁ・・・」
これまでのことを手早く話すと伊那さんは苦虫を噛んだように顔を歪める。
「うわ〜ブラック企業はやだね〜ボクもブラック企業には行きたくない〜で、やめた後も踏ん張りがきかなくて仕事ができない、ってことね〜」
「あぁ・・・こう、客観的に聞くとだただヘタレだよなぁ・・・この本読んで、一層それが分かったし。帰ったら仕事探すか・・・」
「おぉ〜!そうなの〜⁉︎それなら、ボクも手伝ってあげるよ」
「手伝う?仕事の斡旋でもしてくれるのか?」
半分冗談で聞くと彼女は満更でもない顔で頷く。
「斡旋、というよりかは中川さんのやりたい仕事につきやすくできるように、みたいな〜?おまじない、って感じかな〜?まぁ、見てて見てて〜」
伊那さんは立ち上がると奥の戸棚から紙とペンと取り出した。
「中川さんは、赤と青、どっちが好きかな〜?」
「赤と青か?うーん・・・青、の方が好きかな」
「りょ〜か〜い」
彼女はそれだけ聞くと無言で紙に何かを書き始めた。
特にすることのない俺はさっき読んでいた『死人のはらわた』をもう一回読み始める。ちょうど二回読み終わったタイミングでコトン、と音がした。顔を上げると満足そうな顔で伊那さんが書いていたものを持ち上げていた。
「それ、なんだんだ?」
「これ〜?う〜ん、お手紙。神様のね」
「かみ、さま?」
二十年生きて初めて聞く単語(今日で三回目だぞ・・・)に情けないなと頭の隅で思いつつ、質問してしまう。
「あ〜神様、っていうのはね〜人によって考え方は色々だけど、ボクはね〜神様はボクたちの生活を良くしてくれる手助けをしてくれる存在、ってとこかな〜もちろん、悪いことをしたら逆に罪として帰ってくるよ〜」
「・・・なんか、そういうシステムみたいだな・・・」
「ん〜確かにそう言われればそ〜かもね〜ま、とりあえずこっち来て〜」
そう言われて連れてこられたのはさっきの模様の部屋よりももっと小さく、暗い部屋。
天井にランタンが一個吊り下げられていて、それだけが暗い部屋をぼんやりと照らしている。
「ここは・・・?」
「えっとね〜ここは、神様にお祈りする場所、かな〜?壁をよく見てみて」
「壁?」
そう言われて壁に近づいてみる。暗い部屋の中、赤茶色の壁をよく観察してみると。
「これ・・・絵か?」
壁にあったのは動物だったり、人のようなものが描かれた絵だった。改めて周りを見渡すと壁全体に絵が描かれている。
「そ〜本当は先祖の知恵を伝えるための場所なんだけどね〜色々あって今はおまじないをかける部屋になってるんだ〜」
伊那さんはそう言って部屋の奥にあった小さな木の机にさっき書いていた手紙と耳につけていたイヤリングをおく。
「中川さんはここで待っててね〜」
そう言われて机が微妙に見れない位置まで下がらされる。一方の伊那さんはそのまま机のすぐ前にしゃがむ。
「神様、・・・」
小さな声で聞き取れたのはその一言だったが彼女からゴニョゴニョと何か言っているのは分かった。
「・・・!うわぁ・・・そう、来たの〜」
伊那さんの声が聞こえて俺はこの一連の流れが終わったことがわかった。
「はい、中川さんにお土産ね〜」
そう言って渡されたものに思わず顔を上げる。
「あの、これ・・・」
「多分中川さんの思ってるのだと思うよ〜」
ての中にあったのは、三つのオレンジ。ただ、オレンジと言っても俺の手に収まるぐらい。大きさはほぼ蜜柑。
(ってか、どこから出てきたんだ・・・?)
そんな考えが頭の中をよぎったが、さっきから俺の想像を絶した経験がありすぎて「そういうものか」と納得してしまう俺がいる。
(・・・慣れって怖いな。うん。)
「これ、持って帰ってもいいですよ〜ってか、帰ってくださいね〜」
「あ、あぁ」
「カバンに入れるのもダメ!分かった〜?」
コクコクと頷くと伊那さんは満足そうに頷いて自分のイヤリングを元の場所に戻す。
「ちなみに、時間って大丈夫なの〜?」
「あ・・・特にはないけど、そろそろ帰るか・・・」
「あちゃ、時間のこと言わなきゃよかったかも・・・」
彼女のそんな呟きは気づかず、俺はカバンを持って入口の方へ行く。
「あ!忘れてました〜!もし、ここにまた来たくなったら、今日の看板の行き方で行けば大丈夫です〜!」
「あ、そうなのか?」
「そうだよ〜ただ、もし行き方を忘れちゃったらボクでも何もできないからね〜」
「!分かった。ありがとう。また来る」
「ありがとうございました〜!」
伊那さんのそんな声を聞きながら俺は入り口の扉を閉めた。
「ってか、このオレンジ、めっちゃいい匂いするな・・・」
なんというか、さっぱりとした柑橘系の匂いが結構する。オレンジを持っている手に臭いが移るんじゃないか、と思ってしまうレベルに。
(うーん、家に帰って、このオレンジ食べたら、求人サイトで仕事探しましょっか)
行きの時に感じていた何もしたくないという気持ちはすでにどこかに言ってしまった。
今はどんな仕事をしたいかとか、そんなことで頭がいっぱいだ。
「よし、やりますか!」
俺は晴れ晴れとした顔で大通りを一歩踏み出した。
俺は所詮、ニートと呼ばれる分類だ。去年、大学を卒業し、大手企業と呼ばれる会社に入社したが、あまりにブラックだったからお盆が明け(と言ってもお盆休みというものはなかったが)たタイミングで辞表を出し、会社を辞めたのだ。
それから二ヶ月ほど立ったが仕事をするやる気が出てこないのだ。毎日家の近くのコンビニでバイトはしているものの、正社員の求人は全く見ていない状況だ。
「・・・あ?」
その時、ふと顔を上げたところに初めて見る看板があった。その小さな古ぼけた看板には『書房・魁星堂』の文字。その下には『ここから徒歩十六歩』。
(こんな看板、あったか?いや、今までは一回も見たことねぇし。でも、昨日までなかったとしたらなんであんなに古ぼけてんだ?)
そんな疑問がどんどん湧いてくるが書房、という文字に興味を持つ。そういえば趣味で本を読むなんてここ数年、やっていなかったことを思い出した。
「・・・せっかくだし、行ってみるか・・・」
独り言を呟いて、俺は歩き出した。
「ここ、か・・・?」
二、三分ほどで目的の魁星堂につくことができた。カラカラと音を立てて扉を開けるとその音を聞きつけたのか、奥から店員と思われる少女が出てきた。
「いらっしゃいませ〜」
薄い黄色の髪をハーフツインテールにしている少女は、緩慢な動きで目尻の垂れた黄色の目を俺に向けた。
「おお〜大学生かな〜?あ、でもそれなら今講義?の時間だよね〜?」
「あ、あぁ。去年大学卒業したばかりでな・・・」
「あ、そ〜なんですね〜!さ、どうぞ〜中へ〜」
どうやら少女のこの眠そうな言い方は普段からの言い方らしい。その証拠に、さっきほど目が覚めたようだけど、話し方は全く変わってない。
「お名前は、なんて言われるんですか〜?」
「あ、俺は中川隼人、だが・・・」
「中川さん、ですね〜ボクは南風伊那、です〜」
(あ、ボクっ子なんだ・・・)
そんなどうでもいいことを思いながら中に入った瞬間、空気が変わったような気がした。
「すごい、こんな量の本が・・・」
「ふふ、すごいでしょ〜ここにある殆どが、ここにしかないんだよ〜」
「ここにしか⁉︎」
「そ〜だよ〜じゃあ、中川さんを呼んだ本を探しましょっか〜」
「俺を、呼んだ本?」
俺を呼ぶ、とは一体どういうことだろう。本に意思があるというような言葉に首を傾げる。
「ん。ここに来れるのはね〜本が読んでもらいたい、って思った人だけなんだよ〜」
「・・・?」
全くよく分からなかったがとりあえず伊那さんについてく。
俺が連れてこられたのは三畳ほどの小さな部屋だ。そこには床に変な模様が書いてある以外、何もない。
「あの、これは・・・?」
「これはね〜魔法陣って言ってね〜これを使って、中川さんを読んだ本を見つけるんだ〜」
真ん中に立って、という伊那さんの言葉に従って模様の真ん中と思われるところに立つと彼女はその、まほうじんの外で、俺の目の前に立つとスッ、としゃがんでまほうじんに手をつけた。
「中川さんを呼んだのは、誰かな〜?」
それが合図だった。
伊那さんがそう言い終わった瞬間、床にあったまほうじんが彼女の瞳の色―つまり黄色―に光り出したのだ。
それと同時に彼女の瞳と片耳につけていたイヤリングも同じ色で光り出す。
「・・・ほ〜まさか、貴方が出てくるなんて〜ボクが何度言っても誰も呼ばなかったのに〜」
まるで誰かと会話しているような伊那さんに声をかけることすら、指一本動かすことできない時間が過ぎる。
「ん〜りょ〜か〜い」
伊那さんがゆっくりとまほうじんから手を離すとさっきまで光っていたのが嘘のようにまほうじんも、彼女の目も、イヤリングも元に戻る。
「えっと、こっち〜」
急に歩き出した彼女を慌てて追うとそれほど遠くないところで止まっていた。
「これだね〜」
彼女が差し出した本を見てみる。そんなに厚くない。せいぜい数十ページだろう。絵本みたいだから、内容はもっと少ないんだろう。
題名は『死人のはらわた』
「あ、これってまさか・・・」
「ん〜中川さんの想像通り、ホラーっぽい本だね〜」
「う、ホラー、か・・・」
あまり読んだことのないジャンルに怖気ついてしまう。
「今から、読める時間ある〜?もしないならお仕事終わったあとでも来れるよ〜?」
(・・・)
時計を見るとこの後のバイトまではまだ時間がある。
「あぁ。それなら、今読む」
俺はそう言って近くにあった椅子に座ると表紙を開いた。
昔、ある村にまだ若くて子供のいない夫婦が暮らしていました。
その夫婦はとても貧乏で、毎日食べる食べ物にも困るほどでした。夫は時には仕事を探しに出かけて日雇いに雇われ、時々わずかの金を稼いでいましたが、殆どはいつも何もせずにぶらぶらしていました。
家にいる妻は洗濯をしたり、繕い物をしたりして夫が帰ってきた時、なんとか食べるものを用意しておこうと四苦八苦していました。
そんな状態のある日、とうとう何も食べるものがなくなりました。
妻はどうしようかと思いながら家の近くを歩いて食べられるものを探していました。
すると、ふと家の近くにある墓地が目に入りました。そこではちょうど、ある男が墓地に埋められていました。それを見て妻は、
(そうだ、死人のはらわたを食べれば良い)
と思いました。
妻はその男が埋め終わり、家の人たちが帰ったのを確認してから、そっとその男が埋まっているところまで行きました。
妻は男が埋まっているところを掘り、男を引き摺り出した後、その男のはらわたを抉り取り、男を元のように土の下に埋めてから、はらわただけを自分の家に持ち帰りました。
妻はその男のはらわたを何回も水洗いし、丁寧に火で炙り、親切な隣の女がくれたタピオカの根を水だきに煮込んだものとつけ合わせて夫に出しました。夫婦は食事にありつけたことに安心してこれを食べました。
やがて夜もふけ、二人は床に入って間もなく、戸口をこう言いながらトントン叩く音がしました。
「今日墓地で盗んだはらわたを返せ・・・」
「ねぇ、あなた、誰かしら?」
「心配するな、すぐ帰るさ」
しかし不思議な声は言い続けました。
「俺は帰らないぞ、この家の戸口にいるぞ」
「あなた、いったい誰なの?」
「怖がるな、すぐに帰るよ」
その怯えた妻は恐ろしさで気も狂わんばかりになって、そばに寝ている夫に強くしがみつき、震えながら尋ね続けました。
「あなた、誰なの?」
「心配するな、すぐに帰るよ」
「俺は帰らないぞ、永久にお前を恨み続けるぞ」
そうしてその死体は夫婦の家に入ってきました。
次の日、親切な隣の女が夫婦の家に行くとそこには恐怖に目を引き攣らせて死んでいる夫と、はらわたを抉られて死んでいた妻がベットに倒れていました。
そしてはらわたが無くなったはずの男の死体には、彼のものではないはらわたが腹のなかにありましたとさ。
俺は無言で本を閉じた。その音で読み終わったことに気づいたのか、伊那さんが俺のところへコーヒーを持ってやってきた。
「どうだった〜?あ、これコーヒーね〜」
「あ、ありがとう・・・あの、質問がいくつかあるんだが、いいか?」
「ん〜?いいよ〜」
「まず初歩的かもしれないんだが、はらわたってどこだ?」
「あ〜はらわたは、大腸とか、小腸とかの所の事〜つまり、内臓」
「人の内臓って食べれるのか・・・?」
「食べられないことはないみたいだよ〜実際、死者の弔いとして人肉を食べていた民族もいたみたいだし〜ただ、結構病気になりやすいからおすすめはしないよ〜?」
(いや、食べようと思わないから!)
「後・・・なんで死んだはずの男が動いたんだ?そこが全く意味がわからん」
「あぁ・・・ヨーロッパの方だとね、ゾンビとかいう分類になるのかなぁ〜?もしくは幽霊〜?そこら辺はボクの専門じゃないからなぁ・・・」
「んぁ?ぞんび?ゆうれい?」
「ゾンビはね〜悪魔・・・まぁ、悪いことする生き物〜?その悪魔に操られている人みたいな感じかな〜?幽霊っていうのは〜この世に未練がある人が〜この世に留まっちゃう・・・みたいな感じ〜ボクは見たことないけど、他の店員さんはね、見た事ある人いるよ〜」
「へ、へぇ・・・」
「まぁ、どんだけ理解しようとしても、理解できないものはわかるよ〜で、これ、呼んでみてど〜だった〜?」
急に聞かれた感想に驚きつつも冷静に言葉を紡ぐ。
「あ・・・第一印象は、その、怖い・・・だろ?ただ、冷静に考えてみたら、もしかしたら俺もこうなるかもしれないな、って思った」
「と、いうと?」
「俺も、ニートなんだよなぁ・・・」
これまでのことを手早く話すと伊那さんは苦虫を噛んだように顔を歪める。
「うわ〜ブラック企業はやだね〜ボクもブラック企業には行きたくない〜で、やめた後も踏ん張りがきかなくて仕事ができない、ってことね〜」
「あぁ・・・こう、客観的に聞くとだただヘタレだよなぁ・・・この本読んで、一層それが分かったし。帰ったら仕事探すか・・・」
「おぉ〜!そうなの〜⁉︎それなら、ボクも手伝ってあげるよ」
「手伝う?仕事の斡旋でもしてくれるのか?」
半分冗談で聞くと彼女は満更でもない顔で頷く。
「斡旋、というよりかは中川さんのやりたい仕事につきやすくできるように、みたいな〜?おまじない、って感じかな〜?まぁ、見てて見てて〜」
伊那さんは立ち上がると奥の戸棚から紙とペンと取り出した。
「中川さんは、赤と青、どっちが好きかな〜?」
「赤と青か?うーん・・・青、の方が好きかな」
「りょ〜か〜い」
彼女はそれだけ聞くと無言で紙に何かを書き始めた。
特にすることのない俺はさっき読んでいた『死人のはらわた』をもう一回読み始める。ちょうど二回読み終わったタイミングでコトン、と音がした。顔を上げると満足そうな顔で伊那さんが書いていたものを持ち上げていた。
「それ、なんだんだ?」
「これ〜?う〜ん、お手紙。神様のね」
「かみ、さま?」
二十年生きて初めて聞く単語(今日で三回目だぞ・・・)に情けないなと頭の隅で思いつつ、質問してしまう。
「あ〜神様、っていうのはね〜人によって考え方は色々だけど、ボクはね〜神様はボクたちの生活を良くしてくれる手助けをしてくれる存在、ってとこかな〜もちろん、悪いことをしたら逆に罪として帰ってくるよ〜」
「・・・なんか、そういうシステムみたいだな・・・」
「ん〜確かにそう言われればそ〜かもね〜ま、とりあえずこっち来て〜」
そう言われて連れてこられたのはさっきの模様の部屋よりももっと小さく、暗い部屋。
天井にランタンが一個吊り下げられていて、それだけが暗い部屋をぼんやりと照らしている。
「ここは・・・?」
「えっとね〜ここは、神様にお祈りする場所、かな〜?壁をよく見てみて」
「壁?」
そう言われて壁に近づいてみる。暗い部屋の中、赤茶色の壁をよく観察してみると。
「これ・・・絵か?」
壁にあったのは動物だったり、人のようなものが描かれた絵だった。改めて周りを見渡すと壁全体に絵が描かれている。
「そ〜本当は先祖の知恵を伝えるための場所なんだけどね〜色々あって今はおまじないをかける部屋になってるんだ〜」
伊那さんはそう言って部屋の奥にあった小さな木の机にさっき書いていた手紙と耳につけていたイヤリングをおく。
「中川さんはここで待っててね〜」
そう言われて机が微妙に見れない位置まで下がらされる。一方の伊那さんはそのまま机のすぐ前にしゃがむ。
「神様、・・・」
小さな声で聞き取れたのはその一言だったが彼女からゴニョゴニョと何か言っているのは分かった。
「・・・!うわぁ・・・そう、来たの〜」
伊那さんの声が聞こえて俺はこの一連の流れが終わったことがわかった。
「はい、中川さんにお土産ね〜」
そう言って渡されたものに思わず顔を上げる。
「あの、これ・・・」
「多分中川さんの思ってるのだと思うよ〜」
ての中にあったのは、三つのオレンジ。ただ、オレンジと言っても俺の手に収まるぐらい。大きさはほぼ蜜柑。
(ってか、どこから出てきたんだ・・・?)
そんな考えが頭の中をよぎったが、さっきから俺の想像を絶した経験がありすぎて「そういうものか」と納得してしまう俺がいる。
(・・・慣れって怖いな。うん。)
「これ、持って帰ってもいいですよ〜ってか、帰ってくださいね〜」
「あ、あぁ」
「カバンに入れるのもダメ!分かった〜?」
コクコクと頷くと伊那さんは満足そうに頷いて自分のイヤリングを元の場所に戻す。
「ちなみに、時間って大丈夫なの〜?」
「あ・・・特にはないけど、そろそろ帰るか・・・」
「あちゃ、時間のこと言わなきゃよかったかも・・・」
彼女のそんな呟きは気づかず、俺はカバンを持って入口の方へ行く。
「あ!忘れてました〜!もし、ここにまた来たくなったら、今日の看板の行き方で行けば大丈夫です〜!」
「あ、そうなのか?」
「そうだよ〜ただ、もし行き方を忘れちゃったらボクでも何もできないからね〜」
「!分かった。ありがとう。また来る」
「ありがとうございました〜!」
伊那さんのそんな声を聞きながら俺は入り口の扉を閉めた。
「ってか、このオレンジ、めっちゃいい匂いするな・・・」
なんというか、さっぱりとした柑橘系の匂いが結構する。オレンジを持っている手に臭いが移るんじゃないか、と思ってしまうレベルに。
(うーん、家に帰って、このオレンジ食べたら、求人サイトで仕事探しましょっか)
行きの時に感じていた何もしたくないという気持ちはすでにどこかに言ってしまった。
今はどんな仕事をしたいかとか、そんなことで頭がいっぱいだ。
「よし、やりますか!」
俺は晴れ晴れとした顔で大通りを一歩踏み出した。