花縁~契約妻は傲慢御曹司に求愛される~
「ただいま。どうかしたのか?」


床に座り込むようにしてスマートフォンを拾う私に、依玖さんが声をかけた。


「う、ううん。手が滑って落としちゃったの。お帰りなさい。早かったのね」


うるさく騒ぐ鼓動を無視し、いつも通りを意識して返答する。


「ああ、予定より早く終わったんだ」


「そう、お疲れ様。なにか、食べる?」


「逢花はもう済ませた? もしかして残業? 顔色が悪いな」


「少し前に帰宅したところなの。準備、するね」


訝しむ彼に早口で答えて、キッチンに足早に移動すると背中ごしに声をかけられた。


「具合が悪いんじゃないのか? 着替えたら俺が作るから休んで」


「……ありがとう、大丈夫よ」


顔半分だけ振り返って礼を告げても動揺はおさまらず、妊娠を告げるべきか迷う。

緊張のせいか鈍い頭痛は治まらず、鼓動もうるさい。

好きな人の赤ちゃんを授かって幸せなのに、気持ちも伝えられず、真実もわからず、怯えている私は、なんて意気地なしなんだろう。

必死に自分を鼓舞して冷蔵庫の取っ手に手をかけた途端、ふわりと後ろから抱きしめられた。


「……ごめん、気づかなかった」


依玖さんらしくない弱々しい声と突然の抱擁に驚いて、瞬きを繰り返す。


「ひとりで、抱え込ませて悪かった。ずっと無理をしていたんじゃないか?」


「え……?」


「検査薬の空箱が洗面所に置いてあった」


告げられて、体に緊張がはしった。
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