花縁~契約妻は傲慢御曹司に求愛される~
『ごめん、一路さん! 急いでいて会議室から試作品移動させるの忘れていたの。手の空いているときに回収してもらえないかな。私、今日直帰なのよ』


定時退社時刻が迫ってきた頃、かかってきた電話に了承を告げて、仕事がひと段落した時点で会議室に向かった。

会議室の使用状況を確認したが幸い空欄だった。

とはいえ、急な使用もあるので早く回収しようと足を運ぶ。

少し照明が落とされた廊下を歩いていくと、会議室のドアが少し空いていて、男女の話し声が聞こえた。

残念ながら使用中だと理解し、戻ろうとしたところで耳に届いた声が私の足を止めさせた。


「なかなかしぶといわね。見切りをつけたならさっさと行動すればいいのに」


「周囲の目と立場があるだろ……勘も良いからな」


「だからってもう限界よ。本当にこれが正解なのかしら」


「この方法しかなかったんだ。大体お前が囮とか余計な情報を吹き込んだからだろ」


くだけた口調で話すのは依玖さんと加賀谷さんだった。

普段強気な依玖さんらしからぬ弱った声に、胸が軋む。


「あのときには必要な措置だったし、結果としてうまく事が運んだでしょ。いつまでも待てないの。お母様からは依玖に会いすぎだ、今は自重しなさいって小言をもらったんだから」


「悪い。夫人には俺からもお詫びをする」


はあ、と依玖さんが深い息を吐いたのがわかった。

周囲が静かなせいか、かすかな音さえも拾ってしまう。
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