花縁~契約妻は傲慢御曹司に求愛される~
洗面所の近くで、クリーニングの終わった服とバッグがクローゼットにかけられているのを見つけた。

スカートの染みは完全に消えていた。

バッグから勤務先のIDカードが少しはみ出していたので奥のほうへ押し込む。

落とさなくてよかったと安堵すると同時に、彼に見られていないか気になった。

素性は偽っていないし、体も重ねておいて今さらだけど、これ以上深入りしないほうがいい気がした。

大きな鏡には血色の悪い、不安そうな目の、お世辞にも魅力的とはいえない姿が映り、小さく息を吐いた。

入浴後、クローゼットの前で着替えをすませ、再び洗面所へと引きかえす。

バッグに入っていたポーチを取り出し、簡単に化粧を済ませた。


身支度を終えてそっと寝室まで戻ると、まだ彼は電話中だった。

少し逡巡した後、部屋にあったメモ帳にメッセージを書き込む。

センターテーブルの上に紙を乗せ、財布から数枚の紙幣を取り出す。

昨夜の送別会のために普段よりも多めに出金しておいてよかったと心から思った瞬間だった。

この部屋の金額がいくらなのか見当もつかないが、支払える精一杯を置いておこうと決めた。


このまま挨拶もせずに姿を消すのは失礼だけれど、一夜限りの女性にいつまでも居座られたら困るだろう。


「本当にありがとう……さようなら」


最低な夜をひとり寂しく過ごさずすんだ礼を小さくつぶやき、音をたてないように気をつけながら足早に部屋を出た。
< 33 / 190 >

この作品をシェア

pagetop