花縁~契約妻は傲慢御曹司に求愛される~
「気にするな。それより、逢花は直属の部下じゃないし、役職で呼ばなくていい」


「でも……」


「俺は呼び捨てにしているだろ?」


譲る気を微塵も感じさせない口調に迷う。

名刺を渡したし私が傘下の社員だと知ったはずなのに。


「言い出したらきかない方なので、遠慮なくどうぞ」


戸惑う私を見かねたように、助け船を出す立川さんに、なぜか葵さんが眉間に皺を寄せた。


「お送りしたいのですが、時間が迫っておりまして申し訳ございません」


「いいえ、大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」


軽く頭を下げる立川さんに慌てて手を振る。


「……悪い、逢花」


淡々とした謝罪に小さく首を横に振って、笑顔を返す。

むしろ今は混乱した感情を整理したくて一刻も早くひとりになりたかった。

紙袋を手渡され、頭を撫でられる。


「またな」


道路わきに停められた黒塗りの車に乗り込む彼に再度礼を告げ、頭を下げて見送る。

ひとりになると、さっきまでの時間が現実と思えなくなる。

恋人でもなく、告白もしていない人とキスをするなんて、私はどれだけ簡単な女なんだろう。

しかも彼の真意は相変わらず掴めない。

きっと彼のように女性の扱いに慣れている人には深い意味を持たない行為なのだろう。

わかっているのに惹かれてしまう自分の愚かさに呆れる。

絶対に叶わない相手に心を揺らす私は、とことん恋愛運がない。


「またなって……もうきっと会えないのに」


まだキスの感触が残る唇でつぶやいた声が雑踏の中に吸い込まれていった。
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