花縁~契約妻は傲慢御曹司に求愛される~
「どのみちもう会えないんだし、夢見ても意味がないの」


「連絡先交換をしたんでしょ? いつでも会えるじゃない」


「雲の上の存在の、超多忙な人なのに?」


過分な弁償をした葵さんからすれば、もう会う必要はないだろう。

ただ、あの日のキスはずっと心の中にくすぶって、熱を放ち続けている。

彼の体温や息遣いをふとした瞬間に思い出しては、胸の奥がなにかに強く締めつけられるように痛くなる。

今日、このドレスを身に着ける際も葵さんの姿が脳裏に浮かび、なぜか泣きたくなった。

不安定に揺れる心は、きっと複雑な心境の結婚式だからだと自分を納得させた。


「逢花が尻込みする気持ちは理解できるわ。でもね、本気で心が揺さぶられる人に出会えるなんて幸運よ」


ロビーを横切り、エレベーターホールへと並んで歩きながら凛が真剣な口調で告げる。


「真面目な逢花が一夜限りでもと身を任せた人なんでしょう? 本当は惹かれているんじゃないの?」


核心を突く親友に、即座に返事ができない。


「そうかもしれないけれど立場が違いすぎるし、恋焦がれても叶わないわ。なにより今は恋愛をしようって気持ちになれないの。また気づかずに強制終了されていたら、怖い」


久喜の仕打ちはひどい。

けれど関係が冷え込み、彼を引き留める魅力が私になかったのは事実だ。

今になって悔いても現実は変わらない。 

そんな私に新たな恋をする余力はない。

再び傷ついたら、無理やり補修した心が粉々に砕け散って、きっと立ち直れなくなる。
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