微糖、微熱、微々たる鼓動

午後の陽射し

8月の猛暑が、じりじりと大地にしみいる。
アスファルトは弱火にかけられたフライパンの底ぐらいの暑さだろう。


「くそ、何でこんな日に外出ないといけないんだよ・・・」


悪態をつきながら太陽を睨んでも、頭上から乗っかってくる太陽は俺を嘲笑う。


そもそもなぜ家の冷蔵庫が空っぽなのか。いや、たしかに最近冷蔵庫の中が寂しくなってきたなー。と思っていたが。
まさかもぬけの殻になるとは思わないだろ。


こんな事になるならネット通販もう少し学べば良かったか。いや、あんなのやってると頭痛くなる。とっとと買うもん買って早く家に帰ろう。



「えっ、渡海さんが外に出てるわよ」


「本当ね、珍しいわ」


「子供たちが公園で遊んでいるから、あんまり外に出て欲しくないのよね・・・」


「子供に悪影響だわ」



名前も顔も覚えのない、エプロンをつけた主婦が俺を見てコソコソ話す。
目の前で言う勇気もない奴の言葉に耳を貸すつもりはないし、そもそも外に出ようが出まいが俺の勝手だろ。



暑さにプラスされたイライラに、舌打ちの数が多くなる。
だから外に出たくないんだよ。
つまらない話に盛り上がるバカは、見ていて腹が立つ。



「あ!あの人、悪いことしてるんだっておかあさんが言ってたよ」


「なに?!ってことは悪者だな!俺らが倒してやろうぜ!」



さっきの主婦たちの子供なのか、俺の方へ寄ってくるのが見える。
来るな。今の俺なら子供関係なく殴るぞ。
そもそも母親の情報だけで人を悪者扱いするとは、これだから子供は嫌いなんだ。



自分が歩いている道が砂利道な事を利用し、寄ってくる子供目掛けて地面を蹴った。
舞った砂が目に入ったのか、子供は目を押えてうずくまる。
痛い痛いと目をこすって泣くのを無視し、そのままスーパーへ向かった。



後ろで先程まで子供など見ずに話していた主婦たちが、子供に駆け寄って心配の声をかけたり俺へ罵声を浴びせたりしている。
なんとでも言え。先に仕向けてきたのはそっちだろ。



そもそも、そんなに心配するなら最初からちゃんと見ていればこんな事にならなかったんじゃないのか?



昔からひねくれていると言われ、自分でもそれは理解している。
でも別にそれで困ったことはないし、治す理由もない。
敵をつくるからやめろと、昔、やけに人間関係に熱心な教師に言われたことがある。そもそも味方や敵などどうでもいい俺からしたら、そんな言葉なにも響かない。



最近は、腹が立つことばかりだ。



偏見だけでものを言う奴らも、年々暑くなっていく夏も、残り短い時間を一生懸命生きようと鳴く蝉も。



理解できない。するつもりもない。腹が立つ。どうでもいい。全て消えて欲しい。



眉間に嫌なシワが増えていくのを感じながら、スーパーへ向けていた足を近くの公園へ移した。
この暑さでどうも普段より気が立ってしまう。
この公園にはたしか背もたれ付きのベンチがあった筈だ。



そこで少し涼もう。このままだと熱中症になる。っていうか、もう既に軽く熱中症な気がする。



少し離れた先に、遊具の多い大きな公園があるからか、俺が向かった小さな公園には誰もいない。
まぁ、人がいても俺が来たのが分かったら離れていくだろうけど。



「あー・・・あっついな」



ベンチに座り、全身の力をぬく。
ベンチの傍には大きな木がいくつもあり、ちょうど日陰になっている。
日陰になっていても太陽の熱は感じるが、直接浴びるよりも幾分か楽だろう。



ぼんやりする視界が鬱陶しい。
水が欲しいが、こんな小さな公園に自販機などある筈もない。
ふざけんなよ、この状態で立って水買いに行く気力なんかあるわけないだろ。



俯いているから分からないが、周りに人の気配はない。スマホなど持ってきていないし、持っていても呼べる人間もいない。



このまま死ぬんじゃねーか。
別に未練はないけど、俺がここまで生きた理由って何かあるか?
くそみたいな人生送って、くそみたいな最期迎えて。



振り返った自分の過去のしょうもなさに、思わず笑ってしまう。



「大丈夫ですか?これ、飲めますか?」



とうとう幻聴か?
体が動かないため、目だけを声がした方へ向ける。
視界が霞んでいるせいで姿をしっかり捉えることはできないが、女がペットボトルを俺に差し出している事は分かった。



受け取りたいが、体が動かない。
思ったように動かない体に舌打ちすると、女は俺の心情を察したのか、ペットボトルのキャップを外して飲み口を俺の唇まで持ってきた。



「ちょっと失礼しますね」



女は俺の頭を支えながら、ゆっくりとペットボトルを傾ける。
溢れないように配慮しているのか、喉へゆっくりと流れてくる水にもどかしさを感じる。



それでも一滴も逃して溜まるかと、必死に体内へ水を入れていった。



満タンだったであろうペットボトルが4分の1程になった頃、俺は飲み口から唇を離し、手で濡れた口元を拭う。
げほっげほっと咳をしながら、俺は女の方を見た。



咳き込む俺を、憂わしげな表情で見つめる女。



丸く大きな黒い目に、下ろせば肩につくぐらいあるだろう絹糸のような艶のある黒髪を、後ろで1つに結んでいる。
白く清潔なシャツを黒色のズボンにしまっていて、ペットボトルを持つ手の反対の手には赤いエプロンを持っている。



世の中の一般的な男から支持されるタイプの女だろうと感じた。



自分を見つめながら何も言わない俺に疑問を感じたのか、女は「?」を顔に浮かべながら首を傾げた。



「どうしました?・・・あ!まだ水いりますか?」



足りないですか?買ってきましょうか?と慌てる女に、「いらない」と告げる。



「もう大丈夫ですか?今日は特に暑い日らしいですから、気をつけないと熱中症になってしまいますよ」



「余計なお世話だわ。・・・水、助かった」



「いえいえ!困った時はお互いさまです」



顔に笑みを浮かべた女は、そのまま残ったペットボトルを俺に渡した。



「陽射し強いですから、まだ動かない方が良いですよ」



「涼しくなるまで大人しくここに居ろってことかよ。また熱中症になるだろ」



「んん、確かに。・・・あ、なら私が働いているカフェに来ませんか?」



「は?」



そこなら涼しいですよ!と、女は公園の入口とは反対方向を指さす。
その指につられて同じ方向を向くと、たしかにこじんまりとしたカフェらしきものがあった。



「今日はお客さんがあまりいないので、涼しくなるまでゆっくりしてください」



本当は早く家に帰りたいが、この暑さだ。それに、2日ほど何も食べていないから腹が減っている。
今はこの女の言葉に甘えるのが最善だろう。




「じゃあそこで休ませてもらうわ」



「ぜひぜひ。あ、まだ名前言ってなかったですね。夢野奏って言います」



血色いい両頬に豊かな微笑を浮かべる、夢野という名の女。
別に名前なんてどうでもいい。



2秒だけ見て、視線をカフェに戻す。
店内なら外より涼しいだろうと、早足で向かった。



女はめんどくさい。
無視されたことで、不機嫌になるだろうと思っていると、予想外に夢野はニコニコ笑いながら俺の側まで小走りで駆け寄ってきた。



「名前、なんて言うんですか?」



「それ教える意味ある?」



「なんて呼べばいいか分からないじゃないですか。それに、知りたいんです」



「呼ばなくていいだろ。俺もお前の名前呼ぶ気ないから」



「うわ、ひねくれてますねー」



よく言われるでしょ?と曇りなく笑う夢野に、思わず舌打ちする。



俺と数回言葉を交わせば、大抵は黙るか罵声を浴びせるかの2択だ。
なのにこの女、夢野はひたすら隣で話しかけてくる。



対処法が分からず、迷宮に放り込まれた感覚だ。



無視しても意味の無い夢野に、自然と早足になる。
カフェはすぐに着き、気付けば扉の前だった。
先程まで隣にいた夢野が俺の前に行き、取っ手を掴んで扉を開ける。



「どうぞ!」



促されるまま、俺はカフェの中へ入った。




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