今会いに来ました。 カフェラテプリン道中記
 みんな夢でありました。 見たくない夢でありました。
そう言いたいですよ。 でも事実は消えません。
ぼくはこの事実を地獄の底まで抱えていきます。 今、あなたに話してもどうしようもないことだから。
 ほんの数か月前のことなら警察に訴えることだって出来たでしょう。
でも40年も前の話。 「そんなことが有ったのか。」
警察も裁判所もそう言われて終わりなんです。 どうしようもないですね。
 ぼくの小学生時代は何だったのでしょうか?

 でもね、悪いことばかりではありません。
5年生の時にはクラスみんなで揃ってロケットを作りました。 【ムーンファイブ】です。
竹ひごと新聞紙とダンボールで作った2段式の大きなロケットです。
 これを考案したのは工作担当の女の先生でした。
最初はね、1段式の簡単なロケットにしようって話してたんですけど、あのバカコンコンが参入して「俺も作るから大きい物を作ろうぜ。」ってことになったんです。
 そう、高さは2メートルくらいかな。 4枚の翼も付いて窓も開きました。
星の絵もたくさん入って小学生にしては立派なロケットが出来上がりました。
 その年は文化祭の年だったので展示もしましたよ。
40年も経ったからさすがに壊れちゃったかな?
 6年生になるとこれまた楽しいことが待っていましたね。 学級新聞です。
ロケットの名を取って『ムーンファイブ』と名付けられました。
 金曜日の国語の時間はみんなで記事を書きます。
題字、雑学、ニュース、4コマ漫画、いろいろと足らない知恵を持ち寄って作りましたねえ。
まさかそれが、後々ボランティアグループの会誌にまで発展するとは思いませんでしたけど、、、。
 2000年代、ぼくはbbsというグループで活動していたんです。
big brother's and sister's movementですね。
この地区会で会長をしながら会誌を作っていたんです。 力尽きて辞めましたけど。
 思えば楽しいことも有った。 苦しいことも有った。
今、50を過ぎてやっとそれらの意味が分かってきたような気がします。
 30代までは本当に恨むことしか出来なかった。
でも今は虐めてきた人たちに感謝できるように思います。
地獄を見てきたからこそ何が起きても踏ん張っていられるんだと。
地獄を見てきたからこそ周りを冷静に見ていられるんだと。
あの時は苦しかった。 歯がゆい思いしか無かった。
憎んでも足りないと思っていた。 それがぼくの宝物になったんです。
ぼくをここまで強くしてくれたんです。 ありがとう。
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