わがままだって言いたくなる

第6話

とある日曜日の朝。

果歩は、ベッドの上でうなされていた。

ふと起きた晃は果歩の様子が気になった。
そっと額を触ると、
かなり、体が熱くなっていた。


「果歩、すごい熱だよ。大丈夫?
 今、保冷剤持って来るから。」


「大丈夫、自分で持って来れるから。」


と、ふらふらになりながら、
 寝室から台所へ移動する。

保冷剤を取ろうと、冷凍庫を開けた瞬間、
その音に反応して、びっくりした比奈子は
泣き始めた。


「あ、ごめん、比奈子、びっくりしたね。」


フラストレーションに驚かせて悪いと思った果歩は、冷凍庫の引き出しを閉めて、取ろうと思った保冷剤を元に戻した。

 体はフラフラ、頭はグラグラ。


それでも、母は子を思うあまり、
泣いてるのをずっと聞きたくない。


ベビーベッドに駆け寄って、
横になる比奈子の手を触るが、
手が熱かったことが嫌になったのか、
パシンと叩かれた。


前世の絵里香はいないようだ。


比奈子の素で、泣いている。


お腹が空いたのか、
紙オムツが濡れているのか、
あやしてほしいのか、分からない。

クタクタに立つのもやっとの果歩は
ベビーベッドを手すり代わりに
しゃがみ込んだ。


「そんな…無理だよ。お母さん、
 お熱あるから。」


体温を測らなくてもすぐ分かる。
体から発する熱で暑さを感じる。

頭痛が続いて、めまいもする。
呼吸が荒くなる。


大丈夫だと声をかけてきたからか、
晃は寝室からまだ来ない。


比奈子の泣き声してるんだから
気づいて欲しい。

言わなくてもわかって欲しい。
聞こえないはずなんてない。

でも、やって欲しいって
言えない。
言いたくない。


全部やりこなしてきた自分に
負けてる気がするから。



そう思いながら、果歩は、
比奈子がいるベビーベッドの横で
倒れた。

限界だった。

体を猫のようにして横になり、
泣き止むのを待っていた。


比奈子が想像以上に泣き叫んでいるのを
聞いて、やっと晃が寝室からやってきた。


晃は、果歩が倒れてるのを
すぐに助けようとしたが、
果歩は
パシッと無言で晃の足を叩いた。
比奈子を指差した。

先に比奈子をなんとかしろと言う
合図だった。

私を助けてなんて頼んでない。


晃はその動作に反して、
先に果歩を抱きかかえて
寝室に運んだ。


未だ、比奈子はギャーギャー叫んでいる。


泣きがヒートアップしている。


抱きかかえられた果歩は
晃に反抗したかったが
反抗する気力も残っていなかった。

果歩はベッドに寝かせられて
晃は何も発せず静かに
ドアを開けては閉めて
寝室を出て行った。

本当は比奈子より
自分のことを優先してほしいって
思っていた。

向こうに行かないで欲しかった。

でも泣く声を聞くとどうしても
そっちを先に泣き止ませてほしいという
気持ちになる。


しばらくして、比奈子の泣く声は
おさまった。


静かになって落ち着いた。
果歩は安心して、そのまま眠りについた。



体を休みたいと宣言しても
子育て中は誰も助けてくれる人はいない
泣き喚くし、こっちが具合悪いと言っても
それを言う時間、余裕を与えられない。

尚更、父親のやることなんて
限られる。
最後はお母さんって呼ぶ。

それが辛い。

代わって欲しい。

休息がほしい。

母親の代わりって存在しない。

母親は母親。

それ以上でもそれ以下でもない。

年中無休で
食事、衣服、医療、教育関連を
無給で執り行う。

給料が発生したら
それはそれで関係性がおかしいが。

モチベーションはどこから来るか
子どもの笑顔が1番の原動力になる。

体が疲れていると笑顔にさせる
方法と時間が減る。

ストレスがたまる。

笑顔にさせたい気持ちと
体が追いつかない。

それが保育園や幼稚園の先生だったら、
ある一定の時間が決まっていて、
その時間だけスイッチを入れて
頑張れば良いんだろうけど、
主婦は、母親は違う。

24時間休むという時間を与えてくれない。

常にずっと、子ども相手を
しなければならない。

仕事なら割り切れるのに
どうして育児、母という立場になると
アンバランスになるんだろう。

親子関係の嫉妬からか、
子どもへ対する甘えなのか。

果歩自身は小さい頃からずっと保育園に
預けられてきた幼少期を過ごしていた。


親と離れるのは早かった。
産前産後の1ヶ月の休みを終えて
育休の休みももらい、
生後3ヶ月からすぐに保育園だった。

そのため、
外部と接触するのは
苦ではなかった。

幼少期を思い出しながら、比奈子を接していると自分と違う人生を歩んでほしいという気持ちが生まれていた。

***

ギャーギャー叫ぶ比奈子をあやそうと
あの手、この手で晃は探した。

まずは、オムツ交換。
スッキリしたと思っても、まだまだご不満。
次は、粉ミルクを哺乳瓶に適量入れて、
お湯で溶かす。
人肌になるまで、流れる水道水で冷やす。
この微調整が案外難しかったりする。
冷やしすぎてもいけない。

手首に哺乳瓶を当てて確かめる。

「よし。大丈夫だ。
 次は…離乳食っと。」

必ず、離乳食を食べてからミルクを飲ます
という健診の時に保健師の指導があった。

おかしいな、
子どもは初めて育てたわけではない。

子どもを育てるという行為に関心が
なかったのかもしれない。

結婚の失敗からの経験で、
今回は必死に対応している。

冷凍庫に入れておいたほうれん草、にんじんお粥のペースト状を取り出した。


果歩が製氷皿に入れて固めておいたようで
取りやすくなっていた。

これを電子レンジで温めて食べやすいように
お粥に混ぜる。

いつもこれをやるのは果歩だったが、
見よう見まねでやってみる。

食卓にあるベビーチェアに比奈子を座らせて、小さいスプーンで与えてみた。

お粥を乗せたスプーンを見ると
泣きやんだが、
お好みでなかったのか
べーっと舌を出してみせた。

「おいしくない?」

「ぎゃー!!」

ご機嫌斜めになり、
バンバンバンとテーブルを叩く。

 絵里香が戻ってくる。

(だから、しょうゆが入ってないのは
 美味しくないって。
 自分で食べてみろっての。
 全く赤ちゃんだと思って
 無味のご飯提供するんじゃない!!)



「えー、マジかよ。
んじゃ、にんじんのお粥は?」

 スプーンを差し出したが、
 手で跳ね除けた。

「ダメ?」

 がっくりとうなだれる。

 吹っ飛んだスプーンを取りに行く晃。

「ぶーーーー!!」

 機嫌を損ねた比奈子はぶーとつばを吐いて、哺乳瓶に手を伸ばした。

(もう、お腹空いてんだから
 ミルク飲ませ!!)

 頑張って取ろうにも届かない。
 比奈子がガンと体がぶつかり、
 テーブルが揺れて哺乳瓶横に倒れた。
 コロコロとテーブルの下に落ちそうに
 なる。

「あ、あぶな!!」

 晃は慌てて、哺乳瓶をキャッチした。
 床に落ちるのを防いだ。

「おっと、間に合った。
 比奈子、先に離乳食食べよう?
 ほら、お塩入れて見たから。」

 味を変えてみようと晃は塩をひとつまみ
 入れてみた。

 さっき食べたのと同じ味は嫌だと思いながら、比奈子はスプーンを自分でつかみ、
口の中に運んでみた。


(何これ…。うまっ。
 塩入れただけで?)


「美味しいだろ?
 これ、ヒマラヤ岩塩だぞ。
 買ってたんだよね。
 こういうのも良いかなって。
 高級なんだぞ!」

 晃はお刺身や天ぷらに使おうと果歩に
 内緒で買っていた。

 さすがは外食に行き慣れているだけ
 あるわと比奈子はニコニコと笑顔に
 なった。

 その後、比奈子はパクパクと平げた。

「よし、食べたな。
 次はミルクね。
 抱っこしながらあげないとな。」

晃は、比奈子をベビーチェアからおろして
抱っこして、横に寝かせた。

母乳を与えるような格好でミルクをあげてみてくださいと保健師の指導がここにもあった。

目と目を見つめ合い、飲んでいるかなと確かめながらあげると良いとか、美味しいねとかけ声を大事とか言う。

その当たり前なことができない親もいる。

自分自身が親にそうされてこないと、
嫉妬心が生まれてできなくなる。

晃は人生ある意味2度目、育児書を読破して、必死に取り戻そうと言う姿が見えた。

(それは、私の時もして欲しかったな。
 どうして、育児中は
 仕事仕事で言い訳して、
 帰って来なかったんだろう。
 外で飲み歩くことが多かった。
 今では、残業することなく、
 直帰な時が多いんだ。
 果歩がうらやましい…。)

 哺乳瓶の乳首をパッと外した。

「あれ、もう良いの?
 まだ、残ってるのに。
 せっかくだから、全部飲んじゃいなよ。」

 また哺乳瓶を差し出したが、
 顔をぐるりとそっぽむけた。

 お腹は満たされたようだ。

「ごちそうさまだね。
 んじゃ、片付けしてくるから
 寝ててもいいよ。」

 晃は比奈子をベビーベッドへ寝かせた。

「あ、ゲップってしてないよね。
 ちょっと待って。」

ゲップを出させるのを忘れていた晃は、
また比奈子を抱っこして、背中をトントントンと叩いた。

「ゲェーー。」

 おじさんのようなゲップをして、
 晃は爆笑した。

「マジか。すごい音だな。
 すっきりしてよかったよかった。」

 そっとベッドに寝かせた。
 台所で哺乳瓶と離乳食が入ったお皿、
 エプロンなどの食器を片付けた。


「ミッション完了だな。
 さてと、自分のご飯は、
 納豆ごはんと味噌汁でいいか。」

 インスタントの味噌汁をお椀に入れて、
 ご飯をよそった。ひきわり納豆をまぜて
 盛り付けた。

 手早く食べるにはこうするしかない。
 次々起こる子育てミッションに備えないと
 いけない。

 
 次は昼寝できるように
 外に出て覚醒させて
 活動的に動かないとと晃は抱っこ紐と
 着替えなどの荷物をまとめたバックを
 背負った。

 晃は、
 果歩の寝ているベッドの近くのトレイには
 卵入りのお粥が入った土鍋と
 スポーツドリンク、熱冷まし用の頭痛薬、
 冷えピタシートの替え、体温計を置いて
 比奈子と外出した。


 いつ置いたか分からないくらい果歩は
 熟睡していた。


 こんなに寝たのはいつぶりだろう。



 きっと結婚する前の
 晃と出会う前のとある日曜日。


 寝て曜日だと
 ベッドと友達になったあの日
 夜から翌日の昼まで寝ていた。
 あの頃が懐かしい。

 今は着ていたパジャマがびしょ濡れで
 スポーツドリンクが
 美味しく感じた。


 外を見ると、太陽が照っていた。
 トイレに行こうと寝室から出た。

 ベビーベッドに比奈子がいないことに
 不自然さを覚えた。

 晃の乗る車がない。

 一緒に出かけたんだろうか。


 比奈子を見ててくれるなんて生まれてから
 初めてだった。


 果歩はまだ残る微熱を治そうと
 またベッドに横になった。
 
 





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