魔女と呼ばれた子爵令嬢、実は魔女ではく聖女でした⁉
「エスティラ‼」
 若い男性の声がした。
 その声音には焦燥感が交じり、必死な様子も感じられる。
 心配してくれてるのだろうか。
 必死になって自分を呼ぶ声がこんな状況でも心地よく感じた。
 最後に名前を呼んでくれたのが公爵様で良かったかも。
「ちょっと、ねぇ、生きてる?」
 …………はて? 空耳か?
 エスティラは不機嫌そうな声に目を開くと、そこには見覚えのある麗しい顔貌があった。
すぐ目の前にこの世のものとは思えない美貌があり、エスティラは息を詰まらせた。
「こ、公爵様!」
 エスティラは驚いて目を見開く。
「良かった、生きてるね?」
安堵の声にエスティラははっと我に返る。
「私、死んでな……ひいっ!」
 今、自分が地上から離れた場所にいることに驚き、側にあった何かにしがみつく。
 眼下に広がるのは家と小さくなった使用人達で皆が空を見上げてエスティラ達を目で追っている。
『エスティラ、おい、エスティラ』
 エスティラは名前を呼ばれて声のする方に視線を向けた。
 長い首をこちらに傾けた黒竜がエスティラを見つめている。
大きな翼を広げ、広い背中にエスティラとミシェルを乗せてくれていた。
 艶やかで硬質な身体はとても大きく立派で赤い瞳は宝石のように美しい。
 竜は大きく翼をはためかせて旋回し、地上へと降り立った。
 空を飛んだわ……空を。
 未だに信じられないが空から地上を見下ろした光景はしばらく忘れられそうにない。
「君、どこか怪我は?」
 息がかかりそうなくらい近くにミシェルの顔がある。
 どうやらエスティラがしがみついていたのはミシェルだったようで、仕立ての良い上着にしわが寄っている。
 サアァァ―――と血の気が引くのが分かった。
「も、申し訳ありませんでした!」
 すぐさま手を放し、距離を取ろうとするがここはまだ竜の背中の上だ。
 竜の背から降りなければ距離は取れない。
「僕が先に降りる。手を貸すから」
 そう言ってミシェルはひょいっと竜の背中から降り、エスティラに手を差し出す。
 竜もエスティラが降り易いように姿勢を低くしてくれて地面が近くなった。
「ありがとうございます、公爵様」
「礼ならこの子に言って」
 ミシェルはそう言って黒竜に視線を向ける。
 エスティラは自分を背中に乗せてくれた黒竜に向き合う。
「助けてくれてありがとう! 本当にありがとう!」
 本当に死ぬかと思った。
 エスティラは心から感謝した。
 すると竜は得意げな顔をして、胸を張った。
『ふん、昨日の礼だ』
「昨日?」
 黒竜の言葉に首を傾げる。
 それにしてもこの黒竜、どうして私の名前を知ってるの?
 こんな大きな竜に今まであったことがない。
 昨晩、もっともっと小さい竜に会った。
 あの小さな黒竜も大きくなったらこんな格好良くなるのかしら。
「ロン、ここだとその姿は窮屈だ」
「ロン?」
 ミシェルの言う通り、この小さい邸の庭ではこの立派な体躯は窮屈そうだ。
 長い尻尾を振り回せば色んな物にぶつかり、壊れてしまいそうで、皆が竜を刺激しないように遠巻きに見ているのもそのせいだろう。
 それよりも『ロン』と言ったか?
 昨晩の小さな黒い竜の名前の愛称と同じでは?
「いつもの姿に戻るんだ」
 その言葉と同時に黒い竜の姿がどんどん縮んでいく。
 え、え? えぇぇぇ⁉
『ふん、驚いたか? 今のが俺の本来の姿だ』
 先ほどの大きな黒竜の姿が昨晩の幼い竜の姿に代わり、エスティアは唖然とする。
 偉そうに胸を張ってエスティラの周りを飛ぶのは間違いなくロンバートだ。
 さすが聖獣。不思議な力を持つと聞くが、エスティラの中にある常識を軽く超えてくる。
 飛び回って最終的にエスティラの肩に落ちつく。
 左の肩から右の肩へ後から身体をマフラーのように回した体勢で身体を休めた。
「ロンバート、助けてくれてありがとう」
 エスティラは指の腹でロンバートの頬を擽るとくすぐったそうに目を細める。
 可愛いわね。
 さっきの凛々しい姿とのギャップを感じた。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
 そう言ってミシェルはエスティラの肩を引き寄せ、歩くように促した。
「行くってどこへですか?」
「公爵邸。君に礼をすると言ったでしょ」
 エスティラの疑問に答えながらミシェルは足を進める。
 しかし、門の側まで来た所で行く手を阻む者がいた。
「お待ちくださいミシェル様!」
「そうです、お待ちください!」
 立ち塞がったのはリーナとセザンヌである。
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