悪女は破滅を身ごもる~断罪された私を、ヒロインより愛するというの?~
 雨が幕のように降り注ぐ向こう、おそらく馬車寄せの方から駆けてくる人影があった。
 はっきり見えなくてもわかる、ジェイドだ。どうやら城から帰ってきてしまったらしい。
 
「どうして貴女が外にいる!? 部屋から逃げ出したのか!?」

 自身もずぶ濡れになりながら、ジェイドが恐ろしい剣幕で叫んでいる。執務室で剣を向けてきた時よりも怒気をはらんだ声に、アヴリーヌは一瞬身がすくんだ。
 だがすぐに心を持ち直すと、鉄の門扉に手を掛ける。玄関同様開くものと思ったそれは、しかし重さのせいか鍵がかかっているのかビクともしない。

「開いて! 開きなさいよ!」

 自棄になって門扉を揺らしているうちにジェイドが追いついた。

「何をしているんだ!」
「逃げるのよ!」

 背中から抱き締められるように拘束される。必死にもがくものの、力ずくで門から引き離された。

「あなたの傍にいたくない! お願い、ここから出して!」
「貴女の居場所は僕のほかにない! そのために貴女から全て取り上げたんだ、僕だけを見るように!」
「じゃあ今ここで殺してよ! あなたに捨てられるよりマシよ!」

 思わず本心を口走ってしまってから、ハッとする。濡れそぼった黒髪の影で、ジェイドは怒りとも困惑ともつかない眉の寄せ方をしていた。

「捨てる? 僕が、貴女を?」

 うろたえたアヴリーヌの視線が左右する。胸中を晒してしまったことに動揺していると、突然足が地面から浮いた。

「え?」

 たくましい腕は水を吸ったドレスごとアヴリーヌを抱え上げていた。
 ジェイドは雨からかばうように、マントでアヴリーヌの体を覆う。

「あれほど訴えたのに、貴女は何も理解していなかったんだね。貴女がずっと苦しそうな顔をしていた理由が、ようやくわかったよ」

 秘密を告げるように、潜めた声を耳元で囁かれる。頬に張り付いた髪を払ってくれた指先は、どうしようもなく優しかった。


※ ※ ※

 呆気なく部屋に連れ戻されたアヴリーヌは、侍女の手ですぐ濡れたドレスを脱がされ、髪も乾かされた。新しいドレスに着替え身なりを整え終えたところで、ジェイドが部屋にやってきた。

 侍女はすぐに退室し、二人きりになる。
 既に皿の下げられていたテーブルをはさんで向かい合ったジェイドに、アヴリーヌは項垂(うなだ)れたままその顔を見ることができない。

 こんな幼稚な方法で逃げられるとは、アヴリーヌとて最初から思ってはいなかった。だが逃げなければ、自分はそう遠くない未来、確実にジェイドの情熱に答えてしまう。
 そうなったらあとは裏切られて捨てられるだけ。前世であれほど傷ついたのに、今世でもまたあの激しい痛みを与えられたら、自分はどうなってしまうかわからない。その恐怖心だけがアヴリーヌを突き動かし、そしてその試みは完全に失敗に終わったのだ。

 ジェイドが椅子を立つ気配があった。
 え、と思う間もなく伏した視界にジェイドが現れる。騎士のように跪いた彼は、いつもの柔和な表情ではなく真剣な眼差しでアヴリーヌを見上げていた。

「気分は落ち着いたかい? 嵐がひどくなりそうだったからね、貴女に心細い夜を過ごしてほしくなくて、無理言って城を出てきたんだ。……正解だったよ」

 気遣う言葉に改めて羞恥が襲ってくる。逃げるのに失敗した上あんなにも取り乱すなんて、情けなさで顔が熱くなる。

「僕は勘違いをしていたようだ」
「勘違い?」

 そう、とジェイドは頷く。
 そしてまたいつものように手を取り、上目遣いでアヴリーヌを見つめたまま、手の甲にキスを鳴らす。

「貴女から全て取り上げれば、貴女は僕を見てくれると思った。そのために貴女を権力の座から引きずり下ろしたんだが……どうやら、壊さなければならないはこちらだったらしい」

 ジェイドはアヴリーヌの胸を指さす。
 胸、心臓。――今もトクトクとジェイドへの鼓動を刻む、心のありか。

「僕に愛されていることを信じられない、ずっと何かに苦しんでいる貴女の心だ」

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