日々のこと

ゴッホのひまわり

夏休みにはよく絵を描いた。学校の課題であったのは言わずもがなであるが、夏は太陽が強く、色彩が濃く鮮やかだから絵を描くのも楽しかった。
なかでもよくひまわりの絵を描いた。
毎年のように夏休みに庭のひまわりを描く幼い私に母は毎年のように言った。
「ゴッホのひまわりっていう絵があってね」
ゴッホのひまわり。当時はインターネットなどなく、気軽にその作品にアクセスすることができなかった私は、知らないゴッホに興味を持った。同時にゴッホという人は偉大な画家で、ひまわりの絵は素晴らしい作品なのだとも。
そして大人になり、ひまわりの絵を見る機会を得た。東京のどこかの美術館だったと思う。
それは想像していたものと違った。どちらかというとネガティブな意味で、違ったのだ。もっと陽の下で、燦々と輝く黄色い花を想像していた。
花瓶に生けられて、生命力はあるようなないような、初対面の印象としては、本音を言ってしまうと少しだけ不気味にも見えた。明るさと薄暗さのバランス、奇妙にも見えるうねりが、不気味だったのだ。
調べてみればそれはゴッホにとって明るい、希望の作品だったこともわかったのだが、私にはどこかかなしみを含むひまわりに見えた。ゴッホの人生にかなしみが多かったせいかもしれない。
知れば知るほどに、かなしみの多いゴッホの人生。できることなら、夏の強い日差しを浴びて、明るくめいっぱい輝くひまわりであってほしかった、とその時は思った。まだ若かったから。
それからしばらくの時間が過ぎて人生の色々なことを味わった今となっては、あの少し俯きながらも、活けられた花瓶で咲く黄色のゴッホのひまわりは、またすばらしいのだと思える。
そして短く厳しいものだったゴッホの人生もまた、彩りに溢れていたことを知った。
土に根を張って太陽を浴びるだけがひまわりではない。室内で、影を背負いながらもどこかで誰かを明るく照らす。太陽と同じ色彩で、精一杯輝く。
そのひまわりは、私の心で永遠に咲き続けている。
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