日々のこと
カレーの日
もはや日本の国民食ともいえるカレー。そしてどの家庭にもあるであろうカレーの日。私の家にもあった。
ただ、そのカレーの日、母はいつもより3倍忙しかったはずだった。
なぜなら辛党の父のための激辛カレーと、普通の豚肉や牛肉が入ったカレー、そして私のためのシーフードカレーの3種類を作らなければいけなかったからだ。
実は私は肉類があまり得意ではない。年齢を重ねるとともに少しずつ食べられるようになったものの、どうもあの味わいや食感が苦手で、食べなくていいのなら食べたくないと思って生きてきた。それは本当に幼いころから変わらなかった。
父親は昭和の人間なので好き嫌いを許さず、食べ物に感謝するように、そして苦手でも少しでも食べるようにと私を教育したが、母親自身も好き嫌いが多い人間のためなのか、カレーの日は私のために肉を使わないシーフードカレーを作ってくれていた。小鍋に一人分だけ。単に私が苦手なものを除いただけのカレーでなくて、きちんと別のカレーを作ってくれていた。
メインが豚の生姜焼きなら私がそれを食べなければいいだけだった。でもカレーとなると、すべてが混ざっているので、そうはいかない。それでも、私が苦手な肉を除いて提供してくれるだけでもよかったはずなのに、母は私のためにカレーを作ってくれた。
もちろん感謝はしていた。
それでも大人になって自分で料理をするようになった今は、母の気遣いに感謝するとともに、頑張りすぎだったよ、と言ってあげたいような気持ちにもなる。
ただ、そのカレーの日、母はいつもより3倍忙しかったはずだった。
なぜなら辛党の父のための激辛カレーと、普通の豚肉や牛肉が入ったカレー、そして私のためのシーフードカレーの3種類を作らなければいけなかったからだ。
実は私は肉類があまり得意ではない。年齢を重ねるとともに少しずつ食べられるようになったものの、どうもあの味わいや食感が苦手で、食べなくていいのなら食べたくないと思って生きてきた。それは本当に幼いころから変わらなかった。
父親は昭和の人間なので好き嫌いを許さず、食べ物に感謝するように、そして苦手でも少しでも食べるようにと私を教育したが、母親自身も好き嫌いが多い人間のためなのか、カレーの日は私のために肉を使わないシーフードカレーを作ってくれていた。小鍋に一人分だけ。単に私が苦手なものを除いただけのカレーでなくて、きちんと別のカレーを作ってくれていた。
メインが豚の生姜焼きなら私がそれを食べなければいいだけだった。でもカレーとなると、すべてが混ざっているので、そうはいかない。それでも、私が苦手な肉を除いて提供してくれるだけでもよかったはずなのに、母は私のためにカレーを作ってくれた。
もちろん感謝はしていた。
それでも大人になって自分で料理をするようになった今は、母の気遣いに感謝するとともに、頑張りすぎだったよ、と言ってあげたいような気持ちにもなる。