ラストオーダー
「人間は、金属をつけたり、していなかったりするのね」
 それは私が生まれて間もなかったころ、彼にした質問の一つだった。
「金属?」
「みんな決まって左手につけているわ。マスターはしてないわね」
「ああ、指輪の事かい?」
「『ゆびわ』っていうの」
 空間にマスターの打ち込んだ「指輪」という文字が表示される。
「指輪には何か意味があるの? 前までついてなかった近江(おうみ)さんに聞いたら、はにかんではぐらかされたわ」
「ああ、あいつは内気だから。先月婚約したんだ」
「『こんやく』するとつけるの?」
「うーん、婚約と結婚かな」
「結婚は知っているわ。シンデレラがしていたもの」
 今度は、「婚約」という文字が、空間に表示された。
「本当はウェブに繋げたら情報が正確だし、君の学習にはいいんだけれど、ここは研究室だからね。そうだな……これから先、ずっと一緒にいるっていう約束かな」
「ずっと一緒にいないことがあるの?」
「人の気持ちは変わりやすいからね。口約束をしても守れないことも多いんだよ。だから何か証を求める」
 後半、彼は声を潜めて言った。他の人に聞かれると都合が悪いみたいだ。
「……マスターは、私とずっと一緒にいてくれるわよね?」
 マスターは少し驚いた表情をした。私はそれを見て、余計不安な気持ちになる。停電で一瞬電気の供給元が切り替わるときの気持ちに似ていた。
「私も証が欲しいわ」
「困ったな。指輪のデータをつくるかい?」
「実験に関係ないデータなんて、メンテナンスで簡単に消されてしまうわ。マスターも知ってるでしょ? 現実空間の指輪が欲しい」
「作ってもいいけれど、見えるところに飾っておくのかい?」
「だから、まず身体がほしいの!」
 私がそう言うと、彼は困ったように微笑んだ。


 記憶はそこで途切れて、再び現れた彼の骸の、その頬へと手を伸ばした。彼はどんな気持ちで私にこの指輪を嵌めたのだろう。自分の命よりも遥かに長く存在する約束の証を。
 ただ一つ確かなのは、その光が、私のこれからの孤独をほんの少しだけ和らげてくれることだけだった。
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