聖母のマリ子

自戒(王太子視点)

 仕事の手を休めた俺は、あの日涙ながらに自分のことを語った聖母のことを考えていた。こうして考えてみると、俺は聖母について何も知らないことに気がついた。

 予言のことは知っていたし聖母が降臨したことも聞かされていたが、聖母に関する詳細は最重要機密として扱われており、神殿と王宮、一部の高位貴族のみしか知り得ない情報とされていた。王太子である俺ですらもその規制に該当したため、降臨したことを忘れてしまう程その存在は秘匿されていたのだ。

 だがある日、婚約者のフロリアーナから聖母の話を聞かされた。

「聖母様がエドアルド様との結婚を望んだために、私達の婚約は解消されるそうです」

 婚約の解消も聖母との結婚も初耳で、俺はただ驚くことしかできなかった。

 フロリアーナの父であるクリスティアーニ公は国政に深く関わっていることもあり、その娘である彼女からもたらされる情報は常に確かで信憑性が高く、疑う余地はない。

 翌日父上に呼び出され、婚約の解消と聖母との結婚を告げらた。翌週には顔合わせのお茶会が予定されており、俺に拒否権はなかった。

 それ以降、婚約者ではなくなったフロリアーナが頻繁に俺の執務室を訪れてくるようになった。その度に肩を震わせすすり泣く彼女を慰めてやれば、堰を切ったように聖母のことを話し始める。

 結婚のために準備していた教会や会場をまるごと奪われ悔しい思いをしたこと。嬉々として王妃教育を受ける聖母の様子を目にする度に自分のこれまでの努力を虚しく感じること。王宮で直接敵意を向けられ恐ろしかったこと。ありもしない悪い噂を流され聖母以外の人からも悪く言われて悲しいこと。

 聖母の悪行の数々を語るフロリアーナは、婚約解消のショックで少し気鬱になっているのだと感じた。

 フロリアーナとの婚約は俺達が8歳の時に結ばれ、はじめの内は遊び相手といった方がしっくりくるような関係だったが、いつしかそれは兄と妹のような関係になっていった。

 俺にとって守るべき存在であるフロリアーナが悲しむ姿は、決して見逃せるものではない。

 聖母のわがままで決まった結婚なら、無視でもして怒らせればまたわがままを言い出して結婚がなくなるだろう。

 そう考えた俺は、最初の顔合わせで酷い態度をとり、その後もそれを貫き通したのだった。
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