聖母のマリ子
「こちらにいると聞いて来てみたのだが‥‥話の邪魔をしてしまったようで申し訳ない」

「いえ、丁度戻ろうとしていたところなのでお気になさらずとも結構です。何かご用でしょうか?」

「どうしても直接謝罪がしたくて無礼を承知で伺った。どうか私にその機会をもらえないだろうか?」

 結婚の撤回を知らせるために来たわけではなさそうだ。それ以外なら興味はない。早々にお帰り頂こう。

「謝罪は既に受け入れました。これ以上は望みません。わざわざ足を運んで頂きありがとうございます。少し気分が優れませんので、これで失礼致します」

 王太子は明らかに態度を改めたようだし、本来なら拒絶する必要はないのかもしれない。

 冷静になってみると、王太子の暴言はきっかけでしかなく、私の身に降り注ぐ理不尽の数々は、彼とは全くといっていい程無関係だ。態度を急変させた王太子の本心はわからないが、彼は彼でどうしようもない事情を抱えているであろうことも察するに余りある。

 正直、この拒絶は八つ当たりと言っていい。

 これまで言わずに我慢していた本音を王太子に吐露したことで、今の私はそう古くもない傷を抉られた状態となっていた。申し訳ないが、できればもう少しだけ傷を癒す時間が欲しい。

 あからさまに拒絶された王太子は面会を諦めたのか、その後毎日簡単なメッセージカードを添えて花を送ってくるようになった。

 体調を気遣うメッセージは徐々に日々の他愛ない出来事を記したものに変わっていった。それはまるで日記のようで、王太子の日常を垣間見ている気分にさせられる。

 そんなカードが添えられている花はいつも紫のヒヤシンスで、その花言葉は『許してください』なのだという。

 王太子から送られてきたヒヤシンスは部屋の窓辺に飾られ、それが大きな花束となった頃、再び大司教がやってきた。

「殿下の元婚約者、フロリアーナ嬢が公爵領に戻って療養することが決まったそうです」

「そうなんですか‥‥」

「王宮内でのマリコ様に対する嫌がらせが色々発覚したのもありますが、何より重要機密を漏洩させたことが問題視されたようです。とりあえずこれで嫌がらせは止むと思いますので、どうかご安心下さい」

 大司教はそれだけ伝えて帰って行ったが、王太子とのその後がどうなってるのか気にしているようだった。

 どう足掻いても王太子との結婚は破棄されないらしい。ならこれ以上の抵抗は無駄である。

 理由はともかく王太子は歩み寄りをみせたのだから、次は私が歩み寄る番なのだろう。
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