偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
1.嫌いな女
賢い女は嫌いだ。
社長夫妻をはじめ、曲者揃いの職場から離れてまで、頭を使いたくない。
だから、何も考えずに程よい快楽を与え、与えられ、程よい疲れに身体を休めたい。
そうさせてくれる女が、いい。
そうさせてくれる女が、良かった。
はず、なのに……。
最近はどうも、仕事終わりに女と会う気になれない。
最近は特に、色々あったからな……。
だったら、早く帰って酒でも飲んで寝たらいい。
そう思うのに、なぜか身体は彼女へと向かう。
髪を切っても後ろ姿だけでわかってしまう。
優秀な秘書であるが故、だ。
決して、他意はない。
「梓ちゃん」
「俵さん。お疲れ様です」
髪を切り、前髪も作った彼女は、少し幼く見えるようになった。
「お疲れ様。皇丞はまだ、執務室だよ?」
「いいんです。今日は先に帰ってようかと」
「そう?」
彼女の手の中のスマホが見えた。
店のものとは思えない料理の写真が並んでいる。
「今日のメニュー?」
彼女がスマホを見て、笑う。
「レパートリー少なすぎて」
「皇丞なら、お好み焼きとオムライスのローテでも文句言わないんじゃない?」
「そうなんですけど、さすがに私が飽きます」
友人で上司でもある皇丞は、彼女の夫。
「梓ちゃんのお好み焼き、食べたいな」
通用しないとわかっていても、つい他の女に向けるような笑みで見てしまう。
そして、彼女にそんなつもりはないとわかっていても、笑みを返されたらハッとしてしまう。
「じゃあ、今度お好み焼きを作る時は誘いますね」
聞かなくてもわかる。
誘われる時は、皇丞が仏頂面で渋々OKした時だ。
で、きっと欣吾も一緒に誘われるんだろうな。
それなら行きたくない、と思わないから不思議だ。
「楽しみだ」
「じゃあ、お疲れ様で――」
「――送るよ」
「え?」
俺は自分が行くべき駅に背を向け、歩き出した。
梓ちゃんが足早についてくる。
「俵さん、逆方向ですよね」
「ん。けど、大した距離じゃないしね」
「なので、大丈夫です」
「でも、夜道だし?」
「まだ七時ですよ」
「だね。あ、皇丞が来るまで近くで食事しない?」
「しません」
少しも迷われないことが、かえって清々しい。
「そっか。じゃ、気を付けて」
「はい」
梓ちゃんの背中が見えなくなるまで、見送った。
その間、彼女は一度も振り返らない。
ホント、清々しいな。
「帰るか……」
俺は今日も、らしくなく真っ直ぐ自分のマンションに帰った。
途中で買った弁当やつまみが入ったビニール袋をぶら下げて、正面玄関の自動ドアを抜けた時、カツカツとヒールの音が迫ってきた。
俺は道を譲ろうと、壁際に一歩ずれる。
がそれは、自分の逃げ道を塞ぐこととなった。
「会いたかった!」
甲高い女の声と共に肩にどすんっと鈍い衝撃を受け、その弾みで反対の肩が壁にぶつかった。
持っていた袋が手を離れ、艶のあるグレージュの床を滑る。
俺はぶつかってきた女の顔を覗き込んだ。
俺にしたらぶつかってきたのだが、女にしてみると抱きついてきたつもりらしく、俺の腕にしがみついていた。
肩と胸元が大きく開いたニットは派手な黄色で、ぎょっとする。
俺を見上げる女は丸顔で、瞼に突き刺さってはいないだろうかと思うほど長くカールされた睫毛に、オレンジ色のテカテカした唇。
昔流行ったキャバ嬢の髪型かと思うような、毛を逆立てた頭からは、雛が顔を出しても驚かないだろう。
誰だ……!?
職業柄、人の顔と名前を覚えるのは特技というよりも習慣だ。
だが、全く覚えがない。
「失礼だが――」
「――理人さん、会いたかった」
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