偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
 力登を抱いたまま、ぎゅっと身体を丸めた時、ヴヴヴッとスマホのバイブ音が聞こえた。

 そっと息子を離して、スマホを持ち、寝室を出る。

〈俵理人の祖父は検事長だった。犯罪者の娘を身内にはできない〉



 ――――っ!



 冷たい廊下に座り込む。



 言えない……。

 助けてなんて、言えない。



 また、スマホが鳴る。

 今度は、着信。



 理人……。



 迷って、〈応答〉をタップした。

 彼の焦りようから、登と会ったのだろうとわかった。

 私は深呼吸をして、立ち上がり、玄関のドアを開けた。

 心配してくれる彼に、大丈夫だと言った。

 全然大丈夫なんかじゃないけど、言った。

 これが仕事なら、もっとちゃんと嘘をつけるのに、さすがに声が上擦る。

「もう、関わらないで。放っておいて」

 レンズ越しに、理人の瞳が大きく開かれたのが見えた。

「一度寝ただけじゃない! 恋人なんかじゃない。偽装関係だもの。偽物だわ!」 

 理人の瞳が伏せられ、震える口元がわずかに微笑む。

「とっくに、偽装なんかじゃなくなってた」

『私もよ』



 そう言えたら――。



「……帰って」  



 でも、言えない。



「りと」



 もっと私の名前を呼んでほしかった。



「帰って!」



 抱きしめてほしかった。



「俺だけか!? 偽装なんて忘れてたのは、俺だけか!!? 俺だけが――」



 私だって――っ!



 彼のジャケットを掴む手が、震える。

 このまま、彼の胸に身を預けたい。

「ママ?」

 力登の声。

「――お前と力登が愛おしすぎて苦しいのは、俺だけか……?」

 喉の奥から絞り出すような、理人の声。

 嬉しくて、涙が視界を歪ませる。



 私もよ。



「ままぁ……」

 母親()を呼ぶ息子の声で、登さんからのメッセージを思い出す。

〈俵理人の祖父は検事長だった。犯罪者の娘を身内にはできない〉

「……帰って」

 涙を呑んで、やっと出た声は随分と低くて、重くて、喉の奥に詰まるよう。

 ドアを開け、理人を突き飛ばすように追い出した。

 目を伏せ、ドアを閉める。

 ロックをして、力登の元に急いだ。

「ママ?」

 彼を抱きしめる。強く。

「大丈夫、大丈夫」

 幼子の甘い香りが、目に沁みる。

 涙が溢れたのは、そのせいだ。

「ママ、いたい?」

「いたく……ないよ」

 優しい息子の頭を撫でる。

「力登がいるから、大丈夫」

 自分に言い聞かせるように、言った。

 何度も。

「大丈夫」と。

 全然、大丈夫じゃない。

 だって、涙が止まらない。

 恋が、終わった。

 本物になりたかった、偽物の恋が。 

 身の程知らずな恋でも、幸せだった。

 だから、きっと、本当に大丈夫になれる。



 この気持ちを忘れなければ――。



 そんな私の覚悟の脆さを思い知ったのは、二週間後。

 あんなことがあっても、会社ではどうしても顔を合わせてしまう。

 さすがに会社内で、人目も多いから、お互いに『普通の顔』をして挨拶を交わす。

 理人は何か言いた気だと感じる時もあったけれど、私はそれに気づかないふりをした。

 それなのに、名前ひとつで心臓が飛び跳ねる。
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