偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

「――情報、とは?」

 姫が湯呑を置く。

 口紅が落ち、湯呑の縁がテカテカしている。

「通信教育の教材を扱う仕事をしていた方ですの」

 一瞬だけ、姫の口元から笑みが消えた。気がした。

 すぐに、唇が裂けんばかりに大口を開けて、手元の茶菓子を頬張ったから。

 一口サイズの饅頭。

 直感、としか言いようがない。

 (つつ)いてみる気になった。

「経営を?」

「いえ? しがない営業マンです。若気の至りと言いますか、毛並みの違う――」

 姫の表情が陰る。

 それを隠すように、お茶をすする。

「――嫌だわ、私ったら。愛する理人さんとのお見合いの席で、男性遍歴なんて――」

「――深く分かりあうには、過去を知るのが一番ですよ」

「そう……ですわね。でも、私は理人さんの過去なんて知りたくありませんわ! 大切なのはこれからですもの」



 これから……ね。



「では、私たちのこれからが輝かしいものであることに期待して、こちらを贈らせてください」

 俺は、ジャケットの内ポケットから、ビロードの細長い箱を取り出して、蓋を捻り上げる。

「ま……あ!」

 口元で両手を組み、睫毛をバサバサさせて瞬きを繰り返す。

 喜んでいるように、見える。

 見えるが、そうとは思えない。

 プラチナのチェーンに、少し仰々しい台座に鎮座した大粒のピンクダイヤのネックレス。

 普通に買ったらウン十万円はする。

「ナンテステキナノカシラ!」

 喜んでいる。

 なのに、姫の言葉には何の感情もないように聞こえた。

「つけていただけますか?」

「ええ! もちろんですわ」

「では――」

 ネックレスをケースから出し、立ち上がる。

 そして、姫の背後に立った。

「今……ですの?」

 初めて聞く、姫の戸惑いの声。

「お嫌ですか?」

「まさか! ただ……、その、お着物には不似合いかと――」

「――着物の下に隠してしまってください。私のあなたへの気持ちが、誰にも見えないあなたの素肌に隠されていると思うと、興奮します」

 耳元で囁きながら、金具を外してネックレスを彼女の首に回す。

 うなじの下にちらりとゴールドのチェーンが見えた。

 先客がいるとは意外だった。

 姫のことだ。

 アクセサリーはひけらかす為につけると思った。

 だが、俺は気づかない振りをして金具を留めた。

 姫の正面の席に戻る。

 ネックレスの箱は、ポケットに戻した。

「箱は――」

「――必要ないでしょう? 肌身離さず着けていてください」

「ええ……、もちろんですわ」

 姫の唇がぎこちない弧を描く。

 左手で描いた半円のよう。

 ポケットの中でスマホがヴヴッと震えた。

「失礼」と言ってポケットからスマホの画面を確認する。

〈感度良好〉

「お仕事ですか?」

 姫が、珍しくまともな質問をする。

「いえ。ですが、お食事するのは、お着物では窮屈でしょう。今度はぜひ楽な装いでいらしてください」

「ええ。そういたしますわ。お気遣い、ありがとうございます」

 ホッとしたように微笑んだ姫は、初めて恐れを感じない普通の女に見えた。
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