偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
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力登が昼寝してくれて、本当に良かった。
こんな姿、見せたくない。
ママを取られた! くらいにしか思わないだろうけれど、それでも、嫌だ。
ママを取り返そうとする二歳児相手に本気で苛立つかつての夫で、今も息子の父親である男に幻滅するのも。
「退職日はいつだ」
ソファに座る私の太ももに頭をのせて、膝頭を撫でるこの男を愛していた過去の自分を張っ倒したい。
「プロジェクトが終わるまで、待って」
「いつだ?」
「……一年」
「三か月」
「無理よ!」
「四か月」
「登さん!」
膝を撫でていた手が、太ももに這って来る。
嫌だ、気持ち悪い。
そう思うのに、言えない。
足と足の間に指が差し込まれる。
ホステスを風俗嬢扱いするオヤジのような手つきに、ゾッとする。
「半年。ただし、引っ越しはすぐに」
「……」
「家族は一緒に暮らすもんだろう?」
家族……。
ギリッと奥歯を噛み締めたのは、無意識。
温かくて柔らかくて甘い、私の好きな言葉。
それが、誰の口から発せられるかでこんなに心象が変わるものなのか。
「あんな変態女と見合いするような男のそばに、大事な家族を置いておけないからな」
え……?
「ま、逆玉狙いって意味ではアタリだろうけどな」
登さんがクククッと気味の悪い声を弾ませる。
「知ってるか? お前の元カレ、学生の頃から親友のオンナを奪う下衆野郎だったんだ。やっとまともな女を選んだと思ったら、俺の女だったってさ」
親友……って――。
「遊ばれたんだよ。ある意味親友の女だからだろ? お前にちょっかい出したのは。あいつにとっては恋人も秘書も大差なかったんだろ」
理人が専務の恋人を奪ってきた――?
嘘だ。
親友の恋人を奪わなくても、理人に寄って来る女は何人もいただろう。
「忘れろ。俺も忘れてやる」
忘れる?
「力登にとっても悪影響にしかならない男だ」
あんなに懐いてるのに?
「本気でお前を好きなら、他の女と見合いなんかしないだろ。そもそも、お前に近づいたのだって、この俺の妻だと知ってのことだったんじゃないか? 西堂建設の情報が欲しかったとか」
何の繋がりもない西堂の情報なんて、欲しがるわけないじゃない。
そうわかっているのに、胸の奥が痛い。
「今頃、変態女に馬乗りにされてるかもな。でなきゃ、骨の髄までしゃぶられてるだろ」
私を苦しめたくて言っているだけ。
理人がそんな軽薄な男だなんて信じられない。
そう思う反面、私を誘う彼が見せた余裕が、これまでもそうやって甘い言葉と情熱的なキスで専務の恋人を奪ってきた自信からくるものだったのではと勘繰ってしまう。
登さんは策略にも知略にも長けていない。
彼の脇を固める役職者や秘書が優秀だから、なんとか次期社長としての立場を守れている。
そんな彼だから、わかる。
嘘をついてはいない。
きっと、理人のことを調べさせたのだろう。
なら、登さんの言う通り、私のことは遊びだった――?
「引っ越し業者はこっちで手配する。力登の保育園もやめろ」
「……っ」
太ももを撫でる登さんの手が、気持ち悪い。
「出来るだけ早く仕事も辞めろ」
「……」
「あの男が結婚するところは見たくないだろう?」
理人が……結婚……。
登さんが身体の向きを変える。
私の腰を抱き、お腹に顔を押し付ける。
「お前は俺の女だ。絶対、一生、離さない――」
登さんの言葉が、私の首に巻きつく。
逃げられない。
逃げればきっと、私の首だけでなく力登の首まで絞まる。
力登だけは守らなきゃ――!
登さんの重みで足が痺れる。
私の自由を奪わんと、その痺れはどんどん範囲を広げる。
いつか、全身が痺れ、私は登さんに支配されていくのだろう。
どうせなら、思考も麻痺させてほしい。
理人を思い出さないように。
懐かしんだり、寂しがったりできないように。
でなきゃ――。
私は半年を待たずにトーウンを去るだろう。
「おめでとう」とは、とても言えないから――――。