偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
『――もう、済んだことです』
『……そうか』
落胆の声。
『姫。私もお母さんも、お前の味方だ。只野物流よりも、ずっと大切に思っている』
『ありがとうございます、お父様』
カチャ、パタン。
父親が部屋から出て行ったようだ。
『甘いですわね、お父様。そんなんだから、西堂建設なんかにいいように使われるんですわ』
不自然なほどはっきりと、まるで誰かに聞かせるような独り言。
『とはいえ、私もいつまでも自分磨きばかりしていては、登をバカにできませんわね。ちょうど、オーダーメイドの下着も届きましたし、そろそろ理人さんに可愛がっていただきませんと』
隣で欣吾が「げ……」と漏らす。
今までの俺ならば、同じように苦い表情をしていたが、今は少し違う。
『明日の金曜と明後日の土曜。理人さんとより長く一緒にいられるのはやはり土曜日かしら。仕事帰りに待ち合わせも捨てがたいのだけれど』
まるで、俺に問いかけているよう。
ウィンウィンウィン
サイレンか地震速報かと思うようなけたたましい電子音。
『はいっ! 只野でございます』
焦った、姫の声。
『はい、……ええ、はい。わかりました。……はい。……ありがとうございます。明日、……はい。よろしくお願いします。失礼いたします』
「随分焦ってるけど、どこからの電話だ?」
「明日……」
俺は手元のスマホを操作し、姫にメッセージを送った。
〈明日、お食事をご一緒しませんか?〉
ピロンッとメッセージを受信する音。
そして、ふぅっと長くゆっくりと息を吐く音。
それから、手元のスマホがメッセージを受信した。
〈お誘い、とても嬉しいですわ。ですが、明日は先約がございますの。約束も守れない女はお嫌いでしょう? 明後日はいかがかしら? お詫びに真っ赤なリボンを巻いたプレゼントをお持ちしますわ〉
「おい。真っ赤なリボンて、オーダーメイドの下着のことか? 自分にリボンを巻いてプレゼント、とか初めて見た」
横から俺のスマホを覗き込んだ欣吾が言った。
「俺は初めてじゃないけど、十五年は前だったな」
「さすが、理人。美味しくいただいたんだろ?」
「興ざめして、返品」
「おまっ――。サイテーだな」
「なんとでも。それよりも、俺よりも大事な先約ってなんだろうな」
只野姫。
登を利用してまで俺に近づく、狙いはなんだ……?
「会えば、わかるか」
「リボン、解くのか?」
「まさか」
「皇丞には?」
「言うな。会社は巻き込めない」
「俺は巻き込んでもいいのかよ~」
「頼りにしてるぞ、親友」
欣吾の肩をポンと叩き、立ち上がる。
「あ、全部録音しておいて、気になる部分をピックアップしておいてくれ」
「はぁっ!?」
「全部終わったら、俺の有休分けてやるよ」
「皇丞に言って、何が何でも、絶対、もらうからな!」
俺は部屋を出て、秘書課に戻る。
りとは、と彼女の机を見るが、綺麗に片付いている。
帰ったか……。
今週は、随分と仕事を詰め込み、けれどそう長居もせずに帰っていく。
持ち帰ってまで急ぐ理由は――。
「いつまでも逃げられると思うなよ」
ジャケットの襟を正し、俺はりとの机をこつんと叩いた。