偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

「少し意外ですね。最初のご主人とは、円満とは言えない別れ方をなさったと思っていました。人の噂とは当てにならないものですね」

「いえ? 当たっていますわ。若く幼気な私の心がボロボロになりましたもの。ですが、義弟には関係のないことです。あの子は……私を慕ってくれていましたから」

「それは――」

 目の前のグラスを見つめる姫の瞳は愁いを帯び、言わずとも訳ありだとわかった。

「――妬けますね。あなたが私より大切に思う男、なんて」

「そうですか? コレを見たらきっと、私が誰を大切に思っているかなんてどうでもよくなりましてよ?」

 姫が、テーブルの上に赤い封筒を置く。

 彼女の手が封筒から少しだけ離れて、見えた。

 真っ白な封筒に真っ赤なリボンが巻かれている。

 その封筒を俺に向けて押し滑らせるその手は、爪が切り揃えられ、爪も真っ赤でも真っ黒でもなく、自然な色。

「これは?」

「……ひと月後、あなたと私の婚約発表のパーティーを開きます」

「は?」

「コレは、そのパーティーの招待状です」



 俺の婚約発表なのに、招待状……ね。



 当然だが、初耳だ。

「拝見しても?」

「もちろん。ですが、お一人で見てください。コレを見たあなたのお顔を見たいのはやまやまですが、お返事を待つ時間も楽しみたいので」

 手を口元に当てて微笑む姫は、心から愉快そうだ。

「私がお断りするという選択肢はお考えにならない?」

「いえ? それでもパーティーは開きます。広いステージに一人は風通しが良さそうですので、ストールが必要かしらと思うくらいです」

 意地でもなんでもない。

 本当にそう思っているのだろう。

「エスコートしてくださる気になったら、ご連絡ください」

「……わかりました」

「お待たせいたしました」

 先ほどのウェイターが茶色の紙袋を二つ、持って来た。

 姫が立ち上がり、一つを受け取る。

「ご馳走様です、理人さん」

「いえ、喜んでいただければいいのですが」

「それは私の言葉ですわ。私が選んだお食事、理人さんのお好みに合えば嬉しいのだけれど」

 それだけ言って、姫は店を出て行った。

 俺はもう一つの紙袋を受け取り、カードを渡す。

 会計の間、少し冷めたコーヒーを飲む。

 目の前には、赤いリボンの封筒。

 手を伸ばし、リボンの先を(つつ)く。



 なにを企んでいる……?



 結局、俺はリボンを解かなかった。

 姫の思惑通りになるのは、癪だったからかもしれない。

 封筒を紙袋に放り、マンションに帰った。

 土曜の夜。

 賑わう駅前を見渡すと、やけにカップルが目に付く。

 大学生らしい男女が腕を組んで指を絡め、身体を寄せ合う。それより大人の男女は軽く腕を絡め、夫婦らしい男女は触れ合いこそなくても当然のように同じ行く先を見ている。年配のご夫婦は互いを支えるようにしっかりと手を繋いでいる。

「パパ!」

 六歳か七歳くらいの女の子の声がして、姿を探す。

 後頭部で長い髪を束ねた女の子が、父親の手に飛びついた。

「手を離しちゃだめでしょう!」

「ああ、ごめん」

 父親が娘の手をしっかりと握る。

「ほら、早く! 赤ちゃんが生まれちゃう!」

「走ったら危ないぞ」

 娘の尻に敷かれた父親が、引っ張られるようにして歩き出す。

 きっと、手を離したのは娘の方だ。

 なのに、父親が迷子になっているかのような口ぶり。




 息子は、ああはいかないだろうな。

 力登なら――。



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