偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
こんな時に限って寄り道せずにりとの部屋のある七階まで辿り着いた鉄の箱が、ポーンッと俺とりとを包む空気感を無視して軽快な音と共に扉を開けた。
俺はパッと手を離した。
無理強いする気はない。
今、そんな風に彼女を繋ぎとめることに、大した意味はない。
俺は登とは違う――。
エレベーターから勢いよく飛び出す格好になったりとが、振り返った。
「りと、俺たちいつ別れた?」
「え?」
「俺は覚えがないな」
「それは――」
「――別れようなんて言われてないからな」
「それは――」
〈閉〉を押す。
ムキになって俺を見たりとが、厚い扉の向こうに消えていく。
俺のりとへの気持ちをまるで無視し、扉はピタリと塞がり、わずかな寂しさと、扉が開いて別れを告げられる可能性を秤にかけ、俺はエレベーターを上昇させた。
梓ちゃんにヘタレって言われても仕方ないな。
一、二秒で再び扉が開く。
そこで気がついた。
あ、紙袋……。
まったく、りとが絡むとダメダメな自分が情けない。
だが、同時に思った。
返しに来るだろうか。
来るだろう。
問題は、その方法だ。
手渡しか、ドアノブにひっかけてピンポンダッシュか。
ピンポンダッシュ……。
りとがそうする様子を想像し、思わずくくっと笑ってしまった。
ともかく家で待つかと鍵を開けた時、背後でバタンッと大きな音がした。
振り返ると、エレベーター横の階段室の前で肩を上下させているりとがいた。
全速で階段を駆け上がって来たようだ。
「これっ――」
りとが紙袋を差し出す。
到底手が届かない距離で。
俺は、歩み寄るどころか、手も伸ばさなかった。
ただひと言「ああ」と呟く。
だから、りとが一歩、また一歩と俺に近づいてくる。
さっきまでの気まずそうな表情とは違い、挑戦的な、怒りさえ感じさせるような表情は疑問だが、その理由はすぐにわかった。
「――女性からのプレゼントを忘れるなんて、最低だわ」
袋の中を見たのだろう。
赤いリボンが目に入れば、女からのプレゼントだと察しても当然だ。
「女からだとわかっても、返しに来るんだな」
「当たり前でしょう。私にどうしろって――」
「――そうだな」
俺は彼女が手の届く距離に辿り着く前に、ドアの鍵を開けた。
「え? これ!」
袋を受け取らずに家に入ろうとする俺に、りとは慌てて袋を押し付ける。
受け取らないまま、俺は玄関に入り、靴を脱いだ。
「理人!」
閉まりかけたドアを手で押さえ、りとが玄関と廊下の境界に立つ。
じっと彼女を見つめ、彼女はそれに戸惑う。
「りひ……と?」
「ドアを、閉めろ」
「え?」
「最近、寒くて仕方ない」
りとが紙袋を胸の高さに持ち上げる。
「なら、これ――」
「――そこに置いて行けばいい」
「なにを言ってるの?」
「なにを……言ってるんだろうな」
「……」
ただ、寒くて仕方がない。
もう、ずっと。
たった数回の関係だ。
たった数回、りとを抱いた。
たった数回、力登を抱いた。
それだけなのに――――。
手を額に当て、余所行きに整えた髪をなぞり、くしゃりと握った。