偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
『――こ――脅迫み――やめ――愛して――幸せにして――』
途切れ途切れの声は、年配の女性のようだ。
『わかってる!』
突然、ハッキリと男の声。
登だ。
『愛しているから! 幸せになりたいから、りとを取り戻すんだろう!』
『だったら! どうして父親を連れてきたりしたの! りとさんが一番嫌がることでしょう!? それに、あの人の存在が知れたら、西堂の名に泥を塗ることにもなるのよ?』
『大丈夫だ。俺とりとの再婚が成立したら、お義父さんには旅行をプレゼントするつもりだ。治安が悪い国への片道切符を』
『登!』
バンッと何かを叩いたような、弾ける音。
『元はと言えば! お母さんが離婚しろなんて言うからだろ! あんなことくらいで――』
『――あんなこと!? りとさんが警察に駆け込んでいたらどうなっていたと思っているの!』
『だけど! そのせいで汚い虫に食われたじゃないか! 俺の妻なのに!』
『まさか、りとさんに限って一年やそこらで恋人ができるなんて――』
『――静かにしないか。力登が起きてしまうだろう』
母子の白熱したバトルに水を差したのは、恐らく父親。
りとが俺を追いかけてきた段階で、力登が部屋にいないことは察しがついたが、登の実家にいたのか。
大方、りとが逃げないように、引っ越しの準備をする間預かるとでも言ったんだろう。
『泣き疲れてやっと寝てくれたんだ』
『あの子が言っていた『しっち』とか『しっちょ』って何かしらね。何度も言っていたでしょう?』
『意味なんかない!』
胸が、心臓が握り潰されるようだ。
力登が俺を呼んでいる。
『登。何度も言うが、会社と力登を危険に晒すのは絶対に許さないからな』
『そんなことするはずないだろ』
『そう信じたいがな。お前が力登にしたことは消えないんだぞ』
『あれは――』
『――とにかく、お前は力登に近づくなよ』
『なんなんだよ! 父さんと母さんくらい、俺を信じてくれても――』
『――いつまでそんな甘ったれたことを言っているんだ! そんなんだからりとさんに愛想を尽かされるんだろう。しっかりしろ!』
登の両親は、りとと力登の味方……?
いや、そうとも言い切れない。
孫が可愛い気持ちと、面倒くさい大人に育ってしまった息子の面倒をりとに見させたい気持ちが窺える。
二人が力登に危害を加えることはなさそうだ。
りともそれを知っているから、預けているのだろう。
俺は停止のマークをタップした。
テーブルの上に置いた写真を見る。
登が女の肩を抱いてホテルに入って行く姿。
登が気の弱そうな男から何かを手渡されている、いや、手渡しているのかもしれない。とにかく、只ならぬ雰囲気だ。
それから、登がガラの悪い大柄な男に何かを手渡しているか手渡されているかしている姿。
姫は何をしようとしている……?
写真はともかく、盗聴に関しては姫も危ない橋を渡っている。
俺が保身に走って、これを然るべきところに提出したらどうなるか。以前の姫ならまだしも、今の姫が考えていないとは思えない。
俺は写真と、スマホをじっと見つめた。
どうする……?
りと自身が助けを求めてくれたら、登のところに乗り込んで早々にケリをつけるのも考えていた。
だが、りとの闇ともいえる心の傷は深かった。
肘を立てて組んだ両手に額を押し付ける。
聞かずにヤッときゃ良かったかな。
わかっている。
そんなことは、しない。
できない。
組んだ手を解いて、両手で頭を抱える。
くそっ――――!
ぎゅっと目を閉じて、大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
そして、顔を上げてスマホを手に取った。
まさか、俺からかけることになるとはな……。
目当ての番号を呼び出す。
トゥルルルル……
『はい』
落ち着いた声。
だが、きっと俺からの電話を待っていたはずだ。
思うつぼなのは悔しいが、そんなことを言っている場合ではない。
俺は覚悟を決めた。
「ストールの必要はありません」
『代わりに、あなたが温めてくださる?』
「ええ。愛する女性の為ですから――」
愛するりとの為なら、風除けにも羽織代わりにもなるさ――。