偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
怒らせて大声を出されては、力登が起きてしまう。
真っ赤な顔をした登さんのじとっとした視線を感じ、思わずパジャマの胸元に手を当てた。
登さんが、なぜこうも私に固執するのかわからない。
いい年をした元妻より、新しい、若くて可愛い女性の方がいいだろうに。
登さんがフンッと鼻で笑うと、封筒を差し出した。
「ほら。元カレからの絶縁状だ」
「……え?」
登さんが『元カレ』と呼ぶ相手は、理人だけ。
私は奪うように封筒を受け取ると、中を見た。
厚みのある手触りの良いカード。
「こん――」
婚約パーティー……?
【俵理人と只野姫の婚約をみなさまにご報告致したく――】
理人が……婚約?
只野姫……さん……と?
「大層なモンだよな。お前の元カレはパーティーするほどの家柄じゃないし、女の方はもう何度目だよって結婚だ」
理人が……結婚……。
「準備しておけよ。お前も、力登も」
「……え?」
「一緒に行くんだよ。俺たち三人の仲睦まじい姿を見せつけて、歯軋りさせてやる」
そう言いながら、歯軋りしているのは登さん。
「ドレスでもなんでも買っていい。めいっぱい着飾れ」
足元に放り投げられたのは、クレジットカード。
「それから、力登を躾けておけよ」
急に間近に感じた酒臭さに息を止める。
「パーティーでは行儀よくしてるように」
後頭部をガシッと掴まれると同時に、背筋が、いや全身に鳥肌が立った。
パジャマ越しとはいえ、痛いほど強く胸を掴まれ、首筋をベロリと舐め上げられた。
「――っ!」
「パーティーの後はホテルに泊まる。力登は母さんに預けるから、心置きなくヤレるな?」
「~~~っ!!」
耳朶に感じる息遣いが気持ち悪い。
舐められた首筋から悪臭がしそうだ。
一度は愛して結婚し、子供も設けたくせにこんな反応をする私は、酷い女だろうか。
「ああ、楽しみだ」
登さんが愉快そうに笑った時、階段を上がって来る足音が聞こえた。
「登? 力登が寝てるんだから――」
母親の声に、登さんが舌打ちする。
「――今行く!」
彼の手から解放され、私は部屋に飛び込んだ。
しっかりとドアを閉め、もたれかかる。
「きもち……わる――」
パジャマの袖で、舐められた首を拭う。何度も。
汚い、悔しい、ムカつく。悲しい、信じられない、信じたくない。
様々な感情の針で、心臓が抉られるように痛い。
理人――!
ドアにもたれたまま、膝を抱えて蹲る。
溢れる涙は、パジャマの膝部分に吸収されていく。
理人が婚約……。
力登を起こさないようにすすり泣いていると、とさっと小さな音がした。
力登が寝返りを打ったのかと思って涙を拭きながら顔を上げると、犬のしっちょーがベッドから落ちていた。
私は四つん這いになって、彼を拾い上げる。
ふっ……。
確かに、似てる……。
無表情で冷淡そうで、なのに面倒見が良くて。自信家で俺様で、策略家で。なのに、私の名前を呼ぶ声は柔らかくて、力登を見る瞳は優しい。
「悪いこと、考えてそうな顔がそっくり……」
力登が彼を欲しがったのがよくわかる。
悪い……こと?
ハッとして招待状のカードを見る。
パーティーは一週間後の週末。
『あの日』から、ちょうど一ヵ月……。
偶然だろうか。
そんなはずがない。
そもそも、こんなパーティーの準備が、一ヵ月でできるはずがない。
それに、相手は只野姫さんだ。
理人は彼女に辟易していた。
それに、専務が言っていた。
『理人には見合いしなきゃいけない理由はない。なのに、きみのために引き受けたんだ』
あれは、どういう意味だったの……?
する必要のない、お見合い。そして、婚約パーティー。
このパーティーでなにが――。
犬のしっちょーを見つめながら、私は答えのない疑問を投げかけ続けた。