偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
*****
「お待ちしておりました、西堂様」
ロビーに入るなり、支配人の名札を付けた男性が登さんに声をかけた。
どうして登さんが西堂だと知っているのか不思議に思うも、当人は自分の名と顔が広く知れているとでも勘違いしたようで、ご満悦で彼について行った。
元夫がチェックインカウンターに向かうのを見て、パーティーの後は力登を帰してホテルに泊まると言っていたことを思い出す。
いや、忘れていたわけではない。
忘れたくて、考えないようにしていただけ。
「おじーちゃ、いたいの?」
息子の声にハッとして、足元を見た。
すぐそばに立っていたはずの力登が壁側に並ぶソファの前にいて、私は駆け寄った。
ソファには高齢の男性が座っていて、足の前に杖をつき、それを両手で持っている。
力登に笑いかけているところを見るに、不快な思いはさせていないようだけれど、子供を煩わしく思う人もいる。
「すみません、息子が――」
「――優しいお子さんですね」
男性の声にドキリとした。
低くて穏やかな声。
艶っぽさをプラスすると理人に似ている気がした。
「少し足が痛んでね。それを息子さんが心配してくれました。優しくて可愛い子ですね」
「ありがとうございます。あの、お加減はいかがです? 誰かご一緒の方は――」
「――すぐに戻ってくるので、大丈夫です。ご心配、ありがとう」
「いえ」
理人が歳を重ねたらこんな感じだろうかと思うほど、似ている声。
力登が男性をじっと見ているのも、そのせいだろうか。
「力登、行こう?」
「あら! あらあらあら!」
弾む高音に、私と力登が同時に振り返る。
「お父さん! こんな若いお嬢さんを口説いてるの!?」
淡いピンクのスカートをなびかせて、可愛らしい女性が歩いてくる。緩くパーマがかった長い髪が、ふわりと弾む。
可愛らしいとは言っても、恐らく五十代だろう。
幼いとか若作りをしているとかではない。
笑顔と声、そして雰囲気が可愛らしいのだ。
彼女が歩いた後には花が舞っていそうな、力登が持っている絵本の、お花の国のお姫様のよう。
杖を突いている男性を『お父さん』と呼んだということは、彼女は娘なのだろう。
「ごめんなさいね? 私の父なの。八十を過ぎてるのに、好みの女性をナンパしちゃうの。呆れちゃうわよね」
「私が口説こうとしてるのは、この小さな王子様だよ」
「え?」
男性が力登の頭を撫でる。
「可愛くて優しくて賢そうな子だ。どうかな? このじいと友達になってくれないかな?」
「……?」
さすがに、力登には意味がわからない。
現に、ぽけっと男性を見上げている。
「やぁね、お父さん! 鬼ごっこもかくれんぼもできないじゃない」
……鬼ごっこ?
「華純、そういう問題じゃないと思うよ?」
長身の男性が歩み寄ってきて、女性の腰に手を添えた。
黒々とした髪を後ろに撫でつけていて、秘書モードの理人のよう。
「お義父さん、時間ですよ」
男性は滑らかな動きで義父に手を差し伸べる。
その手につかまって立ち上がった男性は、表情を歪めながら背を伸ばした。
義息子さんと同じくらい背が高い。
ダークグレーのストライプ柄のスーツに、磨かれた黒靴。
スーツを着慣れているのだろうとわかった。
「行こうか。返事はパーティーの後で聞かせてくれるかな」
パーティー……って。