偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
「俺は悪くない!」
ユリアの怒号に立ち向かうように、登が声を張る。
「俺は脅してなんかいない! お前が勝手に情報を持ってきたんだ。俺は何も悪くない! 俺こそ被害者だ。そ、その発注書だって、滝田が――滝田に脅されてやったんだ! 俺は悪くない!」
中途半端に知恵がついた子供のような言い訳。
「ふざけんな! お前――」
不正の責任を擦り付けられた滝田が登に掴みかかろうと踏み出す。が、そこでようやく気が付いた。
足元に落ちた未開封の封筒。
滝田はそれを開封し、中の紙を取り出した。
そして、先ほどのユリア同様に高らかと笑い出す。
「くくっ……。くくくっ! あはははははっ!! 西堂。これを見ても自分は悪くないなんて言えるのか?!」
登の眼前に差し出されたのは、事故報告書。
事故、と表現するのは如何なものかと思うが、とにかく事故報告書。
「――――っ!」
「悪くない? それは、この報告書が然るべき機関に提出されたかを調べればわかることだ!」
「ま――」
「――調べるまでもないけどな。コレが表沙汰になっていれば、マスコミが西堂をぶっ潰してたはずだ」
滝田が得意気に報告書をひらひらと揺らす。
自分の所業を棚に上げて、とはこのことだ。
他の面々にしてみれば、滝田も西堂も同じ穴のムジナだ。
人殺しでもしていない限り、どちらがより悪党かなんて決められることではない。
「なになに? Fビル建設に使用された鉄鋼材の強度不足について――」
「――やめろ!」
滝田が報告書を読み上げ、登がそれを阻止しようと掴みかかる。
先ほどと形成逆転だ。
逆転したところで勝利はないが。
「欠陥工事隠蔽とか、ヤバくねぇ? なっ! ミナサンもソー思いますよネー? あははははっ! 西堂グループもおしまいだな!」
滝田が気味の悪い笑い声を上げ、登が報告書を奪って破り、ついでに滝田の髪の毛を鷲掴みにして床に叩きつけた。
「黙れ!」
だが、一流ホテルのパーティー会場だ。
質の良い絨毯が敷かれていて、頭部へのダメージはほぼない。
「理人」
腕の中から元夫の無様な姿を見ていたりとが身じろぎ、俺は腕を離した。
りとは自身と俺とに押し潰されて皺が寄った封筒を俺に渡すと、自分からも登からも少し離れた場所に落ちている封筒を取りに行き、静かに開封した。
登が放った封筒。
会場内で開けられてない封筒はあと三枚。
梓ちゃんのはこの騒ぎには無関係のはずだから、実際は二枚。
「登さん」
中身を見たりとが元夫に呼びかける。
登は興奮して目を血走らせ、元妻を睨みつけた。
まさかと思うが、りとに危害を加えないかと身構える。
「コレにサイン、してください」
「……?」
登が手を離すと同時に、滝田が登を突き飛ばした。
「――って!」
過剰に痛がるも、誰も手を貸しはしない。
冷たい目で注目されながらムクリと起き上がり、りとの元にヨタヨタと歩いて行く。
力登の方がよほど確かな足取りだ。
そして、りとが差し出した用紙を見つめる。
「せい……やくしょ……?」
俺は登の背後に立った。
手を伸ばせば登に手が届く位置に。
「なんだよ……これ」
登に渡した封筒に入っていたのは、誓約書。
今後、力登の親権と養育権について一切の要求はしないこと。りとに、力登を養育できない何らかの事情が発生した場合、再婚相手である俵理人が力登に関する全ての権限を持つことに一切の異議を申し立てないこと。理人の許可なしに、りとと力登への接触はしないこと。
誓約書の内容はその三つ。
誓約書とは本来、企業において作成される。
完全に個人的な内容である今回のケースでは、念書が正しい。
だが、俺は誓約書にした。
念書という表現では、どうも効力を感じにくい。
ハッキリ言うと、登をビビらせるには物足りない。
それに、登が誓約書と念書の違いを知っているか。
誓約書であれ念書であれ、登がサインしてしまえば問題ない。
「こんな――っ!」
「――サインして!」