偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

「俺も……帰ります」

 最後まで壁際から離れなかった近本が、言った。

「あ、俺も……」

 牧田も。

「本日はお越しくださってありがとうございました。あなた方の罪を裁くのは会社で、(わたくし)ではないけれど、もしも――」

「――自首したら、ユリアちゃ――鹿子木ユリアは罪に問われますか」

 近本が聞く。

 近本の罪は、今この場で明らかになったもので、彼は未だにトーウンコーポレーションの社員だ。

 皇丞と社長には事の次第を伝えてあるから、このパーティーの後で処罰を下す予定だった。

「どうでしょう……?」

 姫が軽い口調で言いながら、俺を見る。

「唆されたとはいえ、自分の意思で情報を盗み出し、自分の意思で鹿子木ユリアに渡したのであれば、それはやはりあなたの罪だ。だが、受け取った情報を滝田に渡したことについては、何らかの罪に問われるかもしれません。そうでなくても、彼女の婚約者が良しとはしないでしょう」

 近本がようやく壁から離れて、社長の前に立つ。

 そして、深々と頭を下げた。

「申し訳ありませんでした。これから警察に出頭します」

「バカじゃないの!? 会社クビになるだけじゃ済まないのよっ!?」

 ユリアがキィキィと叫ぶ。

「そうだね。けれど、会社をクビになるだけでは、きみに罰を与えられないだろう?」

「はぁ!?」

「俺はね――」

 近本がユリアに向けて微笑む。

「――きみに地獄に堕ちてほしい」

「な――っ!」

「本当にきみが好きだったよ。高嶺の花のきみに声をかけられて、好きだと言われて本当に嬉しかった。きみと付き合い始めてからツキが回ってきたように仕事も順調で、感謝もしていた。なのに、きみ
は他の男の子供を妊娠している身体で俺と寝ていた。狂っているよ」

 穏やか、というよりも弱々しい声。

「俺も警察に行きます」

 牧田が近本の隣に立つ。

「情報を渡したら結婚してくれるなんて嘘に騙された俺がバカだった。けど! そんな嘘をついたこの女が罰を受けないのは許せない!」

「ふっ――ざけんじゃないわよ! イイ思いをしたでしょ! 夢を見られたでしょ! 私みたいな女を抱けて、喜んでいたでしょ! その対価よ。情報は、正当な――」

「――売春、美人局、恐喝。窃盗、詐欺、あとは……。どれに当てはまるにしても、立派な犯罪だ。そして、あなたは必ずどれか、もしくは複数の罪を問われる。懲役十年以下の刑も複数になれば、さて懲役何十年になるかな」

 杖を突き、お気に入りのダークグレーのスーツを着た、自称紳士が言った。

「懲役……?」

 悪人は往々にして、自らの罪を軽んじる。

 ちょっとからかっただけ、ちょっと騙しただけ、ちょっと脅しただけ、ちょっと横取りしただけ。

 そんなノリで、ハラスメントや詐欺、恐喝、窃盗が行われている。

 だが、全ての罪に罰がある。

 懲役十年以下の刑、と言われてようやく知るのでは遅いのだ。

 ユリアは今、まさにその状況だろう。

 懲役と聞いて何を思ったか。

 ドラマの留置場や法廷、刑務所を想像するくらいしが関の山だろうが、それでも自分が囚人服を着て、一列に並び、他の受刑者と同室で過ごすことを考えるだけで耐えがたいだろう。

「ちょっとからかっただけよ! 本当に顧客データを盗んでくるなんて思わなかったのよ。冗談を真に受けたそいつらがバカなのよ!」

「いい加減にしろ!」

 ユリアの父親がよたよたと立ち上がる。

 ずっと正座していたから足が痛そうだ。

 だが、苦痛に顔を歪めながらも、娘の前まで行くと、右手を大きく振りかぶった。

 バシンッと乾いた音と共に、ユリアが倒れ込む。

 左頬を押さえながら、父親を見上げた。

 ドラマのワンシーン、そのもの。

「お前も自首するんだ」

「え?」

「ユリア。お前も彼らと一緒に自首しなさい。彼らの窃盗の動機を作ったのはお前だ」

「お父様! 自首なんて――」

「――罪を犯したのだから償うのは当然のことだろう」

「お父様!」
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