偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
「登さん、力登が苦しそうなの。お願いだから離してあげて。こんなことしてどうするの?!」
「お前がちゃんと教えないのが悪いんだろ。俺がっ! 俺が父親だ。力登のパパだ! なのに、なんでいつまでも懐かない。なんで! いつまでもこの男を忘れない!!」
「父親なら息子を傷つけるな! 泣かせるな!」
「うるさいっ!」
「しっちょ! しっちょ~~~っ!」
俺の名を呼ぶたびに、力登が咳き込む。
それでも、必死に俺を呼ぶ。
「力登、おちつ――」
「――ぱぱぁ」
ひっくひっくとしゃくりあげながらも俺を呼ぶ力登。
俺は、力登に向かって手を伸ばすが、登が後退って距離が縮まらない。
「ぱぱ! しっちょなの! しっちょー、ぱぱなの!」
「力登……」
「ぱぱ! ぱっ――!」
会場の全員が目を見張る。
「――力登!」
俺は良くも悪くも理性的な人間だ。
女性関係はともかく、秘書として恥じない言動を己に強いてきた。
りとに初めて会った日、思いっきり叱られてからずっと、次に会った時にあの日の言葉を後悔させてやると決めていた。
だが、今はもう、そんなことはどうでもいい。
俺は左足で踏み込む。
泣き叫ぶ力登の口を、登の手が覆っている。
登は力登を黙らせようとしているだけのつもりだろう。
自分の手が力登の口だけでなく、鼻も一緒に塞いでいると気づいていない。
「力登――っ!!」
背後でりとの悲鳴が聞こえた。
一年前、夫がまだ生まれたばかりの力登の口を光景を見た時と同じ衝撃だろう。
俺でさえ耐えられないのだから、母親のりとはどれほどショックで悲しかったか。
迷いなどなかった。
俺は勢いよく右足を振り上げ、登の顔面めがけて思いっきり腰を捻った。
ゴンッと鈍い音がして、足首に衝撃が走る。
同時に登が頭から倒れ込む。
力登が登の手から投げ出された。
俺は咄嗟に手を伸ばし、力登の身体を抱き上げた。
とはいえ、俺も高い位置へ蹴りを入れてバランスを崩している。
抱えた力登の下敷きになって倒れ込むので精一杯。
絨毯に背中がべったり貼りつく。
「――っ!」
僅かな痛みに顔を歪めたのは一瞬で、俺は弾かれるように上半身を起こした。
「力登! 大丈夫か!?」
「……」
俺の腹に跨った力登が、ポカンと目と口を開いて俺を見る。
「力登? どっか痛いとこ――」
「――しっちょー!」
力登が腹の上で飛び跳ね、ぎゅうっと首に抱きつく。
両腕が、なんの違和感もなく彼を抱きしめた。
まるで、俺の腕の中が力登の居場所と思えるほど、しっくりくる。
涙やら涎やらでぐちゃぐちゃの顔が、俺のタキシードで拭われる。
もちろん、そんなことはどうでもいい。
とはいえ、あんまりぐりぐりと顔を押し付けるから、苦しいのかと腕を緩めた。
「力登、痛いところはないか?」
「おう!」
にっこり笑った力登の顔が赤い。
泣いたせいか、顔を擦ったせいか。
とにかく怪我はなさそうだ。
ほうっと息を吐き、改めて力登を抱きしめる。
「しっちょー! ワンワしっちょーね! ネンネでね! し~って!」
「……え?」
「しっちょ、ワンワンの!」
「ワンワン?」
「ん!」
興奮しているせいか早口な上、よく聞き取れない。
ワンワンが犬なのはわかった。
「力登、ちょっとおちつい――」