偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
偉そうに仁王立ちしている女と、その女に頭を下げる女。
流石に、自分たちの姿が親子にどう見えているか気づいて、只野さんが親子から顔を背けた。
そして、フンッと鼻息を荒くしてマンションを出て行った。
如月さんが顔を上げ、エレベーター前の親子を見た。
「お騒がせして、すみません」
親子は子供の手を引いて、ささっと出て行った。
「さ! 帰りましょ」
如月さんが俺の背中を押して、エレベーターへと促す。
「如月さ――」
「――只野さんがまだ外にいます」
「え?」
足を止めずにチラッと外を見ると、自動ドアの向こうの柱から、派手な赤いスカートと靴がチラリとのぞいている。
俺は無意識に速度を上げ、エレベーターに乗り込んだ。
扉が閉まる瞬間、只野さんが柱から顔だけ真横に出して長い髪を揺らす姿が見えた。
夢に出そうだ。
目を逸らさなければと思うのに、恐怖のあまり瞬きもできない。
扉が閉まってようやく、はっと息を吐いた。
「う〜っ!」
手の甲にピリッと痛みが走り、そこでようやく力登の耳を塞いだままだったと気づく。
顔をくしゃっと歪ませ、離せと俺の手を掴み、小さな爪が皮膚に食い込む。
耳から手を離すと、力登がふうっと肩を上下させた。
「モテすぎるのも困りものですね」
さっきまでとは別人のような、如月さんの無表情に冷めた視線。
「どちらかといえば、俺も被害者ですよ」
如月さんが息子に向けて、手を伸ばす。
「力登、おいで」
息子は母から顔背けた。
「やっ!」
「り〜き!」
「い〜やっ!」
「パン、買いに行くんでしょ」
「パパンッ!」
手で俺の肩を押し、足をバタつかせる。
俺は膝を曲げてしゃがみ、力登を降ろす。
「パパンッ!」
力登は俺の腕にぶら下がっているビニール袋を掴んだ。
「こら、引っ張んな」
「パパンッ」
「パパン?」
「室長、パン買いました?」
如月さんに聞かれて、袋を覗く。
「ああ」
バターロールが5個入った袋を取り出すと、力登が勢いよく飛びついてきた。
「パパンッ!」
「こら、りき!」
パンの袋を抱きしめ、エレベーターの隅にしゃがみ込む。
「りきのじゃないでしょ」
如月さんが息子の横にしゃがみ、パンに手を伸ばす。
「やっ!」
息子は抵抗し、壁に向かってうずくまる。
パンはすでに押し潰されているだろう。
「如月さん、いいですよ。助けてもらったお礼です」
「え?」
「本当に助かりました。ありがとう」
「いえ、私は何も――」
「――いぇいぇ!」
力登が如月さんの横をすり抜けて、俺の足にタックルしてくる。
俺は力登に目線を合わせて、もう一度言った。
「ありがとう、助かったよ」
頭を撫でると、彼が目を爛々とさせた。
「いぇいぇ!」
『いぇい』と聞こえるが、おそらく『いえいえ』と言っているのだろう。
得意げな力登に、思わずふっと吹き出してしまった。
「パン、好きか?」
「うん!」
「そっか」
「好きか?」
「俺? まぁ、普通に?」
「あげっか」
「え?」
「りき、もらっておいてあげるはないでしょ」
『あげようか』ってことか?
俺は、はははっと笑い、もう一度力登の頭を撫でた。