偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
「ママと食べな」
「やっ」
力登が俺の腕を掴む。
力登と俺の腕の間に挟まれて、パンがどんどんぺしゃんこになっていく。
「みんなで~」
「力登。室長は忙しいの。ママと一緒に食べよう?」
「や~だ~」
「りき! 駄々っ子しないの」
「しっちょー!」
「しっちょー?」
「しっちょも~!」
小さな箱の中に、大きな泣き声が響く。
そう言えば、階数ボタンを押していないから、上昇していない。
誰かが開けたら、まだ只野さんが中を窺っていたら。
俺は立ち上がり、七階のボタンを押した。
エレベーターが動き出す。
「買い物はパンだけ?」
「いえ、お昼ご飯とか」
「お好み焼きじゃダメですか」
「え?」
俺は買い物袋を持ち上げて見せる。
そういえばさっき袋を落としたが、卵は無事だろうか。
「材料は揃ってるはずだから」
「でも、室長が食べたくて買ったんでしょう?」
「買い物に出られなくさせてしまったお詫びです」
「それは――」
「――しっちょも~っ!」
エレベーターが止まり、扉が開く。
「力登」
如月さんが力登を抱き上げようと脇に手を差し込む。が、身を捩って抵抗される。
「力登! とりあえず、下りよう」
「い~やぁ~っ! しっちょ~!」
「力登!」
「やぁぁぁっ!」
母子の攻防はまさにカオス。
俺はエレベーターから轟く悲鳴のような泣き声と、その声量に負けじと息子の名を叫ぶ声に、住人が通報するのを防ぐべく、力登をパンの袋ごと抱き上げた。
「わかったから、もう泣くな」
ひっくひっくとしゃくりあげながら、力登は俺の首に両手を巻き付けた。
もう、パンの原形はないだろう。
「室長」
「玄関まで送らせてください」
「すみません」
如月さんが先を歩いて、玄関のドアを開ける。
少し苦しいほど強く首にしがみつく子供を押し剥がすのは気が引けた。
「男の人と関わることがないので、興奮してるんだと思います」
如月さんが肩を落として、力登の背中を撫でる。
父親は? と思ったが、聞かなかった。
彼女がパートタイマー勤務の理由は、家庭の事情。
それが、ひとり親で子供が小さいから、という理由なら納得だ。
だが、なぜそれを黙っているのかは、わからない。
「力登、おいで。ママとパン、食べよう?」
「……」
無言だが、俺の首から手を離さない。
「りき。室長は忙しいの」
「や……」
か弱い声と、少しだけ力がこもる腕。
子供は面倒だ。
我がままで話が通じないし、大したこともできないくせにできると思っている。
こっちの都合はお構いなしに、はしゃぐし泣くし眠るし。
突き放したいのに、屈託のない笑顔を向けられたり、涙目で見つめられたりしたら、何も言えなくなる。
女の笑顔と涙なら対処できるのに、子供には通用しない。
ずるい。
なによりずるいのは、ずるいとわかっているのに憎めないことだ。
……ったく。