偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

「ところで、皇丞。梓ちゃんの体調はどうなんだ? 母さんも心配している。食べられるものがあるのなら、ご実家にお送りして――」

「――社長。妻に必要なものは私が用意します。あちらのご実家が恐縮するような高価なものを、ご迷惑になる程大量に送りつけるのはやめてください」

 わざとらしい言葉遣いで父親に『大人しくしてろよ』と言いながら、皇丞の視線は俺に向く。

『ちゃんと手綱を握っておけ』とでも言いたいのだろうが、そもそもそんなことは俺の仕事ではない。

 俺は眼鏡のブリッジを上げながら、横目で受け流す。

 だが、社長は俺と皇丞の無言の会話には気づかず、息子に顔を寄せる。

「わかっている。だから、何を送ったらいいか聞いてるんだろ」

「社長。お約束をお忘れですか」

 俺は秘書らしからぬ眼光で、社長を見下ろす。

 皇丞の懸念通り、梓ちゃんの妊娠がわかった社長夫妻の喜びようは、まるで遠足や運動会の前日の子供のようで、要するに大興奮。

 皇丞が帰るなり俺に電話をして来て、梓ちゃんがかかっている病院の評判を調べろだの、出産予定日前後三か月は仕事を休むだの言い出した。

 だから、初孫誕生に立ち会いたければ大人しくしているようにと言ったのだ。

 出産予定日の三日前に、夫婦そろって地球の裏側まで出張に行かせるぞ、と。

「忘れてないし……」

 肩を落とし、社長が唇を尖らせる。

 すっかり、叱られた老犬状態。

「総務部長がいらしました。会議に戻りますよ」

 皇丞が意味ありげに俺を見てフッと口角を上げ、席に戻った。

 奴の言いなりになっているようで気に食わないが、社長が気も漫ろで業務に支障が出るのは困る。

 ただ、それだけだ。

「お待たせいたしました。では、会議を再開いたします」

 副社長秘書が声をかけると、部屋の空気がピリッと尖った。

 イレギュラーな総務部長の召喚により、会議の進行が三十分遅れている。今の時点で、だ。

 ここから更に終了時刻は遅くなっていく。

 副社長の議題の次が皇丞の議題。

 肘の布を少し引っ張って、腕時計に視線を落とす。

 十四時五十一分。

 総務部長が、営業部からの備品、特にパソコン用品の申請が増えた時期、数量について説明し、原因については不明と答えた。

 さらに、原因究明と対策について議論を交わし、彼は退室した。

 ようやく如月さんの出番が回ってきたのは、十五時四十八分。

 彼女は保育園プロジェクトの進捗状況の説明をし、社長らからの質問に丁寧に答えた。

 関連事業所に日本有数のT&Nホールディングスの名が挙がり、役員たちはご満悦だ。

 会議が終了したのは、予定時刻を一時間十分過ぎた十六時四十分。

 社長室まで同行し、秘書室に残っている部下に社長のコーヒーを頼む。

 ちょうど、皇丞が部屋から出てきた。一人で。

「専務、どちらへ?」

「開発に行く」

「戻られますか?」

「いや」

「畏まりました。お疲れ様です」

「お疲れ」

 俺はその場で皇丞を見送った。
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