偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
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「り~き。ね? ちゅるちゅる作ってあげるから」
「……」
「ごめんね? 明日は延長しないから」
「……」
「りき?」
母親の肩に頭をのせた力登の目は閉じている。
俺が駅前のスーパーを出て、前を歩くのが如月さん母子だと気づいた時にはもう、すでに。
「ごめんね……」
母親の手が息子の後頭部を撫でる。
本当に申し訳なさそうに。本当に愛おしそうに。
俺はできるだけ靴音を鳴らさないように歩く。
別に、忍び足というわけではない。
ただ、夕方のことがあった手前、振り向かれても気まずいと思ったからだ。
定時で会社を出た後、スマホのアドレス帳を眺め、結局誰にも電話をしなかった。
いや、した。
欣吾に。
だが、留守電に変わった。
まだ、仕事中だったのかもしれない。
確認するにしても、会社に戻るのも面倒でやめた。
俺はスーパーでビールやつまみを買い、今こうして如月さんの後に続いてマンションに向かっているというわけだ。
二日前、力登を抱き上げた時、最初は軽いなと思ったのに、徐々に重さが増し、その重さに少し驚いた。
眠るとさらに重くなる。
彼女の華奢な身体では、大変だろう。
彼女に限らず、どんなに重くても母親は子供を抱き上げるし、落としたりしない。
それはもちろん、彼女もそうで。
力登を抱きながらでは、バッグからカードキーを取り出すのが大変そうだ。
バッグが肩からずり落ち、ついでに力登の頭も肩から滑り、抱き直す。
俺は彼女の背後から、自分のカードキーをかざした。
ピッと軽いノリで解除を告げられ、自動ドアが開く。
如月さんは俺を見て、気まずそうに眉をひそめた。
「室長」
俺は自動ドアを跨ぐように立った。
如月さんは手首でぶら下がっているバッグを肩にかけ直し、ドアを跨いだ。
俺も後に続く。
「ありがとうございます」
「いえ」
彼女はちゃんと俺を見ているのに、なぜか俺の方が目をそらしてしまった。
これでは、俺が夕方のことを気にしていると知らせているようだ。
ンンッと小さく喉を鳴らし、彼女の脇を抜け、エレベーターのボタンを押す。
コツコツと彼女が背後に迫る靴音が聞こえる。
チーンという音と共にエレベーターの扉が開いた。
中に入り〈開〉ボタンを押す。
足早に乗り込んできた彼女の肩からまたもバッグが滑り落ち、咄嗟にバッグを掴んだ。
「すみませ――」
「――持ちますよ」
持ってみて、随分重いなと思った。
「いえ。大丈夫です」
「この状態だと、部屋の鍵も出せないでしょう」
かといって、ここで俺が力登を抱くのも違う気がした。
ほんの一瞬だけ間があり、如月さんはバッグを手放した。