偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
 正直に言って、それの何が迷惑なのか、わからない。

 なぜそんなことで彼女が苛立つのか。

 わけがわからず黙っていると、如月さんが唇を結び、それから数回、素早く瞬きをした。

 泣くのかと思った。

 なぜそう思ったかはわからないが、何となくそう思った。

 だが、彼女は困った表情を見せた。

「力登が……。土曜日に室長が帰られてからずっと、力登が室長のことばかり呼ぶんです。言葉はつたないですけど『しっちょーは?』って。次はいつ会えるのかって」

 やっぱり、泣くのかもしれない。

 いや、泣きたいのかもしれない。

 困り顔が、辛そうに見える。

「私と室長の事情なんて力登にはわかりません。だから、これ以上懐くのは、力登のためによくないと……思うんです」

 彼女の心配は理解できる。

 大人の、男の友達ができて嬉しい力登の気持ちも。

「勝手なことだとわかっているのですが、私たちの協力関係に力登を巻き込みたくないんです」

 なんだろう。

 突き放された感が、無性に腹立たしい。

 息苦しさを感じ、俺はネクタイの結び目に人差し指を差し込み、引っ張って緩めた。

 息苦しいと感じるのは、マンションに帰ってまでガチガチの敬語で会話することだろうか。

 土曜日は少しだけれど言葉遣いも砕けて、もう少し気楽に話せていたはずだ。

「わからなくもないですけどね」

「え?」

「大人の男の友達なんて、力登くんには理解できないでしょうから」

「はい……」

「でも、親しくなった人との別れがつらいのは、大人も同じでしょう」

「……え?」

『しっちょーは?』と母親に聞く力登を思い浮かべると、なんだか胸がざわつく。

 きっと、如月さんは『室長は忙しいから』とか言って力登が期待しないように言うのだろう。

 それを考えると、モヤる。

 まだそんなに夜も更けてはいないが、やけに静かな廊下。

 その廊下に、ポーンと電子音が響いた。

 エレベーターの扉のガラス部分から見えたのは、登。

 俺は咄嗟に、如月さんを抱きしめた。

「ちょ――」

「――元旦那だ」

 彼女の耳元で囁く。

 如月さんから登の姿は、見えない。

 鼻をくすぐる甘い香りに、くらりとする。

「別れが悲しいからって誰とも関わらないことが、力登の為か?」

「え?」

 彼女が力登にしたように、俺は彼女の頭を撫でた。

 演技だ。

 登に、俺たちが恋人だと思わせるための。

 遊び相手の女には、したことないが。

「どうせ悲しいなら、めいっぱい楽しい思い出があった方が良くないか?」

「しつちょ――」

「――今は恋人、だろ?」

「え?」
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