偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
登に聞かれるかもしれない。
俺は彼女に向けて、唇に人差し指を立てた。
じっとしていると、「くそっ」と登が言い捨て、ドンッとドアが叩かれた。
肩を竦めた如月さんを抱きしめる。
驚いたのか怖いのか、如月さんが俺の腰に腕を回してしがみついた。
なんてことはない。
抱き合う、なんて色っぽいものじゃない。
そのはずなのに、彼女のぬくもりに平常心ではいられない。
互いの胸で互いの鼓動が反響し、二人分の鼓動を感じる。
コツコツと靴音が遠ざかって行った。
それからどのくらい経ったろう。
どちらからも、互いの温かさを手放せず、抱き合ったまま。
甘い香りが心地良くて、俺は堪らず彼女の髪に口づけた。
「あ!」
突然、如月さんが身を捩って俺の腕からすり抜けた。
「ありがとう、ございました! また、助けてもらっ――」
やけに大きな声が玄関どころか部屋に響く。
力登が眠っているのに、と思うと同時に、彼女の口を手で塞いだ。
「――っんん」
「力登が起きる」
静かに言うと、彼女が目を見開いた。
俺はゆっくりと手を離す。
失敗だ。
隔てるものがなくなってしまった。
「しつ――」
甘い香りは媚薬のよう。
俺は蜂が蜜に引き寄せられるように、彼女の唇に吸い寄せられた。
柔らかく触れあい、彼女の下唇を食む。
頭がくらくらするほどの、甘さ。
というか、紛れもなくミルクの味。
「甘い、な」
唇が触れ合ったまま、言った。
目を開けると、睫毛同士も触れた。
「さっき、力登の牛乳……を飲んだから?」
良かった。
俺の味覚と嗅覚は間違えてなかった。
如月さんに特別な感情を持って、そう感じたわけじゃなかった。
良かった。
俺は、フッと笑った。
「偽装とはいえ、今は恋人だ」
そして、もう一度口づけた。
今度は彼女の唇の端を親指で撫で、閉じないようにしてから。
舌を挿しこむと、少しだけ彼女が顔を背けようとしたが、そうはさせなかった。
諦めた彼女も俺の舌を受け入れ、絡ませる。
なにが良かった、だ。
部下とキスなんて、いいはずがない。
そう思うのに、やめられない。
只野姫に追い回されてからセックスしていないから、欲求不満なのかもしれない。
きっと、そうだ。
如月さんを好きなわけじゃない。