偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
これも、恋人を演じるうえで必要なコミュニケーションだ。
バカか。キスまでする必要、ないだろ。
そう思う。
やり過ぎだ。
偽装関係の距離感じゃない。
でも、如月さんだってまんざらじゃなさそうだ。
キスを深めながら、彼女の腰から背中に手を這わせ、それから尻に下ろしていく。
柔らかくて弾力がある尻を撫で回す。
これは……マジでヤバいかも――。
「ん~~~っ!」
小さいが確かに聞こえたうめき声に、俺も如月さんも一瞬で我に返った。
目を開いたのと唇が離れたのはほぼ同時で、ついでに勢いよく突き飛ばされた。
ゴンッと重く鈍い音が響く。
「――って!」
弾みで俺はドアに頭をぶつけ、思わず手で押さえた。
「ごめ――」
「――まぁま?」
如月さんの申し訳なさそうな表情は一瞬で消え、彼女は即座にドアレバーを下ろした。
ドアが開き、俺はよろける。
「お、お疲れさまでした!」
驚く速さで玄関から追い出され、ドアを閉められた。
俺は後頭部を押さえたまま廊下で立ち尽くす。
「……え?」
足元には俺が落とした買い物袋と、彼女が落としたパン。
いつ落としたかも覚えていない。
呆然としたまま、俺は袋とパンを拾い上げ、頭をさすりながらエレベーターに向かった。
ボタンを押すとすぐに駆け付けてくれた箱が、迎え入れてくれた。
ボタンを押して八階に行くように頼むと、箱はすぐに俺を押し上げてくれた。
ポーンという音と共に扉が開き、俺はガサガサと買い物袋とパンの袋が擦られる音を鳴らしながら、自分の部屋に帰った。
お疲れ……?
暗い玄関で、彼女に最後に言われた言葉を思い出す。
え、なにが?
「……っく。……くくくっ!」
急に、自分でも驚くほどおかしくなって、笑い出す。
あんなキスして、お疲れって……。
そう言った時の彼女の表情を思い出す。
仕事中に見せる真顔でも、力登に見せる笑顔でも、登に見せる怯えた顔でもない。
キスに蕩け、それを恥じ、恥じていることを隠そうと何でもないように取り繕うけれど、顔は真っ赤で涙目だった。
ヤバいな……。
手で口を押え、笑いを堪える。
おもしれぇ。
明日、彼女の前でわざと頭が痛いと言ってみようか。
心配するだろうか。
それとも、キスを思い出して顔を赤らめるだろうか。
いや、キスをした俺が悪いと睨むだろうか。
どんな反応でも、おもしろそうだ。
「くくくっ……」
男がひとり、玄関先で含み笑いなんて、気味が悪い。
俺は「ンンッ」と喉を鳴らし、緩んだ表情筋をピンと張った。
なにが『今は恋人だ』だ。
自分の台詞にむず痒くなる。
事故だ、あんなキス。
俺はぶら下げたパンを顔の高さまで持ち上げ、また表情が緩みそうになった。