偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
咳が止み、ホッとする。
腕が痛い。というか力が入らない。
いつもは平気なのに。
ピーンポーン
力登と顔を見合わせる。
我が家のインターホンは滅多に鳴らない。
来客はまずないし、ネットで買い物もあまりしないから。
「ママ! ピーポ!」
力登の声は来訪者に聞こえているだろうか。
「ママ!」
私はやむなくインターホンのモニターを覗いた。力登を抱いたまま。
来訪者に反応したのは、力登が先だった。
「しっちょー!」
俵室長が、真っ直ぐ私たちを見ている。
いや、見ているのはカメラだが。
言うや否や、ばたばたと暴れ出し、私はバランスを崩して倒れ込むようにしゃがみ、力登を離した。
弾かれたように玄関に走り出す。
驚く速さでドアまで到達し、ドンドン叩きだす。
「しっちょー!」
間違いなく聞こえたでしょうね……。
これで、居留守は使えない。
私は壁に手をついて立ち上がると、玄関に行き、鍵を開けた。
「しっちょー!」
室長の足に飛びつく力登を止める体力がない。
「力登。元気そうだな」
室長が息子の頭を撫でた。
力登は喜び、室長の足元でぴょんぴょん飛び跳ねている。
「体調が悪い時にすまないが、専務から頼まれた――」
私は靴棚に手を突き、身体を支えた。
室長の声は聞こえているのに、その意味が頭に入ってこない。
「――大丈夫か?」
「大丈夫です。えっと――」
なんとか顔を上げ、口角を上げて見せるが、うまくできているかはわからない。
「――専務からUSBを届けるように言われたんだが」
「USB?」
「急いで修正する必要があるんだろう?」
「修正?」
意味がわからない。
「俺が届けることを聞いていない?」
「はい……」
「くそっ。皇丞の奴……」
室長は背が高すぎる。
顔を上げているのが辛くて、喉仏しか見えない。
「しっちょー!」
「力登、室長は忙しいの。こっちへ――」
そうは言っても、力登が言うことを聞くはずもなく。
「――力登。ベッドはどこだ?」
なぜ、ベッド? と思った時には身体が浮いた。
え――!?
「体調不良は力登かと思ったが、母親の方だったか」
遠かった室長の顔がぐっと近づき、ハッとする。
これ……って――。
熱で朦朧としていてもわかる。
お姫様抱っこというやつだ。
人生初。その上、パジャマ姿。
そうだ。私、パジャマ――!
急に恥ずかしくなって、思わず腕を胸元で交差させる。
「お……っと、危ない」
室長がグッと力を入れると、私の頭が彼の胸にもたれる格好になった。
「動くな」
「はい……」
身体を硬直させ、じっとする。
室長が靴を脱ぎ、部屋に上がる。
力登が寝室の前で止まった。
「入るぞ」
「え?」
「寝室」
「あ、はい……。あっ! ダメです」
「は?」
「ぐちゃぐちゃだか――」
言い終わる前にドアが開けられ、あっと言う間もなく、私はベッドに下ろされた。
「熱は?」
「多分……七度五分? くらい」
「測ってないのか? そんなもんじゃないだろ。薬は?」
「まだ……」
「昼ご飯は?」
「まだ……」
「力登は?」
「食べました。薬も飲んだし」