偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
不本意な理由は四つ。
一つ目は、社長秘書で秘書室長である俺に何の相談もなく決められたこと。
二つ目は、パート勤務だということ。
三つ目は、パート勤務の理由が家庭の事情という曖昧なこと。
四つ目は……俺の個人的な問題。
俺は背筋を伸ばし、顔を正面に向けたまま、眼球を下に向けた。
「秘書室長の俵理人です」
あと三センチヒールの高いパンプスを履いてくれたら、話もしやすいのだが。
「如月さんには俺の専属秘書として入社してもらうが、兼務の俺に秘書はさほど必要ないのが実際のところだ。だから、彼女には専務代行として社内保育園設立プロジェクトの指揮を執ってもらう」
俺と如月さんを見上げる皇丞は、机に肘を立てて顔の前で両手を組み、随分と楽しそうな表情。
俺は不満に思うことをわかっていて、今の今まで黙っていたのが見え見えだ。
そして、俺がその不満をどうするのかを見物している。
俺は表情筋を一ミリも動かさずに言った。
「……わかりました」
「理由は聞かないのか?」
「専務のお決めになったことですから」
「ふ~ん」
どうせ、父親である社長にも根回しは済んでいるのだろう。
皇丞の勝手よりも、社長の隠し事が見抜けなかったことの方が、余程悔しい。
寿々音さんもグルか……。
社内保育園設立プロジェクトは、自分の結婚式直後に専務が独断で発足した。
いつ子供ができてもいいように、妻が安心して職場復帰できる環境を整えたくて、という理由は完全に公私混同ではあるが、社内アンケートの結果保育園を望む声が多く、反対する理由はなかった。
だが、忙しすぎてプロジェクトの始動時期も未定の状態でひと月が経過し、今に至る。
そして今日、秘書という名のプロジェクト要員を紹介されたというわけだ。
俺を苛立たせ――驚かせたかった皇丞は、思惑が外れて不満そうだ。
「如月さんは以前お勤めの会社で、社内託児施設の設立に尽力されたとのことですし、即戦力となっていただけるのでしょう」
「知っていたのか」
「噂程度にですが」
「さすが秘書室長」
なにが『さすが』だ。
「東雲専務からは保育園を設立したいとお聞きいたしました。託児所よりも煩雑な条件や手続きとなりますので、俵室長のお力をお借りすることも多いと思います。よろしくお願いいたします」
如月さんに、深々と頭を下げられる。
俺はじろりと皇丞を一瞥した。
「そういうことだ。秘書室に在籍する以上、俵室長の部下だ。色々頼むな」
「はい」
如月さんが頭を上げ、じっと俺を見る。
やはり、年上には見えない。
「では、早速ですがデスクに案内します。専務室前にも机はありますが、あくまで専務が在室の場合に使用するもので、基本は秘書室が――」
俺は型通りの説明をし、如月さんは黙って聞く。
秘書室では、専務が連れてきた女性が何者なのかが噂されているだろう。
人事部で大胆な人事編成が成されたのは、ほんの数年間。
それまでは、他企業でもよくあるコネ入社が横行していた。
その結果が、秘書検定に合格しただけのご令嬢たちと、林海《りんかい》きらりだ。
あわよくば社長の息子に見初められて縁を繋ぎたい会社重役たちが送り込んできた、メイクとネイル、エステ事情に精通しているご令嬢たちは、毎日飽きることなく間違いだらけのタイピングや、電話応対に勤しんでいる。
林海きらりほど悪質ではないが、決して素行がよろしいご令嬢たちではない。
突然やって来た自分たちより一回り以上年上の、パートの専務秘書なんて、噂といじめの標的にぴったりだ。
気が重い。
まぁ、さすがにあんな小娘を相手にするほど弱くはないか。