偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
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「ママはぁ?」
りんごを両手で握りしめた力登が、聞いた。
せっかく冷えていたのに、すっかりぬるくなっているだろう。
それでも、力登は美味しそうに頬張る。
「ママもりんごを食べてる」
「しっちょーは?」
「俺はいい。力登が食べろ」
「おう!」
「おう?」
満面の笑みでそう言うと、力登はりんごを咀嚼する。
俺はキッチンに行くと、持ってきたものを冷蔵庫に入れた。
さっき、如月さんにりんごの礼を言われて、気恥ずかしくなった。
昨日渡すつもりで渡せなかったものだなんて、彼女にはわからないのに。
俺は秘書室に電話をかけ、戻るのが遅くなると伝えた。
社長は午後休。
遠方の通夜に参列するため。
会社関係ではあるけれど、寿々音さんと一緒に一泊の予定だし、運転手が同行するから俺は残った。
事務仕事を片付けようとしていたところに、皇丞に遣いを頼まれたのだ。
体調が悪いと知っていながら、どうしても今日中に如月さんに見てもらいたいデータがあるだなんて、怪しいとは思ったが……。
俺が引っ越したと言った時には、もう如月さんの住まいを知っていたのだろう。
ニヤニヤしながら『心機一転、いい出会いがあるといいな』なんて言っていたから、変だなとは思ったが。
ひと言文句を言ってやろうと皇丞に電話をかける。
『もしもし?』
「なにが急ぎのデータだ」
『そうでも言わなきゃ、行かなかったろ? で、如月さんの様子は?』
「熱が高い」
『そうか。大変だろうからついていてやってくれ』
「……きるぞ」
皇丞は上司として言っただけだ。
なのに、無性にイラつく。
皇丞に頼まれなくたって……。
シンクに両手をついて深いため息をつくと、スマホをポケットにしまった。
くだらないことにイラついている自分に、またイラつく。
「しっちょー」
力登の声に顔を上げた。
りんごを食べ終えた力登が、いつかのように重い尻を振りながら駆けてくる。
カウンターの端のプラスティックケースを見つけて、蓋を開けた。
ウエットティッシュを二枚ほど引き抜き、力登の口と手を拭いてやると、満足そうにふんっと鼻息を荒くした。と同時に、鼻水が垂れる。
「つらそうだな」
今度はティッシュを鼻にあてる。
習慣だろう。
力登がふんっと鼻で息を吐いた。
二歳児の力量では、うまく鼻水は出てこない。
それでも、本人は得意気だ。
「うまいな」
「おう!」
「それ、なんの真似だ?」
「おむつ!」
「おむつの真似?」
『今日はゾウにしようか』
『おう!』
『やっぱり、キリン?』
『おう!』
『それともクマ?』
『おう!』
『どれがいいんだよぉ』
「おう!」
テレビの中の子供が飛び跳ねるタイミングで、力登も飛び跳ねた。両手を挙げて。
おむつのCM。
父親がおむつの尻に描かれた動物の絵を見せて、どれにしようかと聞いている。
それに、力登くらいの年の男の子が『おう!』と答えている。
力登はこれを真似しているようだ。
他人が見ている分には可愛いが、自分の子供が四六時中真似していたらイラッとする親も多いだろう。