偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
「力登、おむつを持って来られるか?」
「お――」
「――しぃ! ママが起きる」
口の前で人差し指を立てて見せると、力登も真似をした。
口の前で人差し指を立て、尻を突き出して前屈みになって。
「しーぃ」
これは、まさに天使のような愛らしさ。
子供が好きではない俺ですら、そう思うのだ。
世のすべて、は言い過ぎだが、九割の人間は可愛いと思うだろう。
俺は力登の頭を撫でた。
まだ細く柔らかい産毛のような色素の薄い髪が、指をくすぐる。
「いい子だ」
「しっちょー、りきすき?」
「ん?」
「りき、しっちょーすき!」
「ははは。どんな女より熱烈だな」
「ねつれー?」
「いや。嬉しいよ。ありがとう」
「いえいえ」
得意気な力登に、思わず頬が緩む。
「しっちょーは?」
「ん? 好きだよ」
「ママは?」
「は?」
「しっちょー、ママすき?」
「……」
『好きだ』と言って力登を喜ばせてやればいい。
子供の問いに、深い意味なんてない。
だが、躊躇った。
これまで、女に向けてその言葉を発したことがない。
というよりも、女に好感以上の執着的感情を持ったことがない。
好き、か……。
女を好きになるとは、どんなものだろう。
皇丞のように、見境がなくなることだろうか。
欣吾のように、報われなくても手を差し伸べずにはいられないことだろうか。
理解はしている。
四六時中相手のことを考えているとか、毎晩寝る前に声が聞きたいだとか、触れたくてたまらなくなるだとか、他の異性と親しくしていると嫉妬するだとか。
いや、そんなの普通に日常生活に支障をきたすだろ……。
俺が四六時中考えているのは、悔しいが社長のこと。
寝る前に誰かの声が聞きたいなんて思わないし、無性に触れたくなるほどの性衝動も経験がない。まして、嫉妬など問題外だ。
やっぱ、向いてないんだよな……。
「しっちょー?」
黙りこくった俺を心配そうに見上げる力登の頬を撫でる。
それから、ふにふにと揉む。
女の胸よりよっぽど触りたくなるな。
「ママのことも好きだよ」
無垢な子供の前では、邪な大人の事情など無意味。
そう思ったら、自然と言葉が出た。
「りきもママすき!」
「だろうな」
ふっと抱き上げた時の如月さんを思い出す。
慌てたり、青ざめたり、緊張したりと忙しかった。
軽かったな。
「りき、ママの好きなもの知ってるか?」
「うん! りき!」
「人じゃなくて食べ物」
「あぽー!」
「それは力登の好きなものだろ」
「……」
力登には難しかったらしい。
考え込む彼の頭を撫でる。
「ごめんごめん。そんなのわかんないよな」
「いっこ!」
「は?」
「ママ、いっこすきだって」
「いっこ……?」
「うん! いっこたっかいの」
「……」
たっかい、いっこ?
「もしかして――」
俺は力登を抱き上げると、冷蔵庫を開けた。
そして、指さす。
「これか?」
「ん!」
いちご、だ。
これも昨夜、買ったはいいけれど俺の冷蔵庫行きになったもののひとつ。
「ママ、いちごが好きなのか?」
「おう!」
「そっか」
「りきも!」
「りんご食べたろ?」
「いえいえ」
「お前、わざとだな?」
「いえいえ!」
これが笑わずにいられようか。
くくくっと喉を鳴らして笑うと、力登も笑う。
それから、冷蔵庫を閉めた。
「で、おむつはどこだ?」
「あっち!」
俺はアンモニア臭のする天使を抱いて、彼が指をさす方に歩いた。