偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
「まだ、熱いな」

 その言葉にハッとした。

 そして、力いっぱい身を捩る。

「ん?」

「はなし……てください」

「どうして?」

「どうしてって――」

 じたばたしていると、ククッと笑う声がして、解放された。

「――風邪って、人にうつすと治るって本当かね」

「え?」

 彼の細くて長い指が視野を縦断し、私の顎に触れた。

 ドラマによくある顎クイというやつ。

「しつちょ――」

「――室長呼びじゃ、次に元旦那が来た時に疑われるぞ?」

「え?」

「りと」

「――っ!」

 不意に名前を呼ばれ、カッと身体が熱くなる。

 前にも、呼ばれた。

 でも、こうして面と向かっては初めて。

 じっと見つめられ、いたたまれなくなって視線を逸らした。

「もう、大丈夫なので……会社に――」

「――午後休をとった」

「え?」

「社長も不在だし、たまには息抜きしろと専務に言われて」

「じゃ、じゃあ、なおさら今日はもう――」

「――体調が悪い恋人を放って帰るような非情な男に見えるか?」

「それはっ! 偽装で――」

 彼を見ると、唇を震わせて笑いを堪えている。

「――からかわないでください!」

「今更だが、あんた恋人は?」

「いるわけ――」

「――なら、問題ないな」

 なにが、と聞く前に、彼の唇が素早く近づいてきて、私に触れた。

 私の、唇に。

「~~~っ!」

 動揺する私の唇をこじ開けて、侵入してくる。



 なんで、こんなことっ――!



 両手で彼の胸をどんどん叩くと、意外にもあっさりと唇は離れた。

「なんでっ――」

「――あんたの風邪、治るかなと思って」

 まったく何でもないように言われる。

「それにしたって――」

「――お互いにフリーなら、問題ないだろ?」

「おおありです!」

「俺、二股はしない主義なんだよ」

「は?」

「偽装とはいえあんた――りとがいるのに、他の女と遊ぶつもりはない」

「だから!?」

「大人の事情、ってやつだ」



 それって――。



「りともこの状況を楽しめばいい。少なくとも、楽しませてやれる自信はあるぞ?」

 ニヤニヤと意味深な笑顔。

「なっ――」

「おむっちゅー!」

 おむつを振りかざしながら、力登が駆けてくる。

「風邪が治るのが待ち遠しいな?」

 腰を上げ、私の頭にポンと手をのせると、室長はその手で力登の頭を撫でた。

「よし、じゃあ、また発射しないうちに穿け」

「おう!」

 からかわれているだけ。

 そうでなければ、めそめそしている私を元気づけようとしただけ。

 本気なわけがない。



 だとしても、キスなんて――!



 熱が下がるどころか、室長が来る前より高くなっていそうで、私は再び彼に抱きかかえられて寝室に戻るまで、その場に座り込んでいた。
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