偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

 りとがハッとして息子の顔を覗き込む。

 彼女の指が、力登の額にはり付いた髪を払う。

「やっぱり、いいパパになりますよ」

 シャワーを、浴びたらしい。

 さっきとは違うパジャマに、石鹸の香りがする。

「たまに世話をするのと、育てるのは別だ」

「それをわかっているなら、なおさら向いてないことないですよ」

「……どうかな」

 どうもこうもない。

 俺には、無理だ。

 結婚して、妻や子供に縛られて暮らすなんて、息が詰まる。

「りと」

「……どうして名前で呼ぶんです?」

「今は、仕事中じゃない」

「それでも――」

「――女、になりたい時はないのか?」

「え?」

 陽邑を連れて実家に帰ってきた哉華は、結婚なんてこりごりだと言いながらも、すぐに恋人を作った。

 さすがに外泊はなかったが、夜の授乳を終えると遊びに出るようになった。

 母親の自覚はないのかと責めた俺に、彼女が言ったのだ。

 女でいたい時もあるのよ、と。

 わがままだと、思った。思ったから、言った。

 子供を作って結婚し、旦那が家事育児にノータッチだからって腹を立てて離婚。

 その上、実家に帰ってきたら『女でいたい』なんて、この上なくわがままだ。

 事実、姉の場合はわがままだ。

 だが、りとを見ていると、母親の立場から少しでもいい、解放してやりたくなる。

 息子の姿が見えなくなって真っ先に考えるのが、元旦那が連れ去った可能性だなんて、追い詰められているようにしか思えない。

 今だって、俺の言葉の意味がよくわからないような表情をしている。

「さっきの話だけど」

「……?」

「大人の事情、ってやつ」

 りとがまた、視線を逸らす。

 そして、片手でもう片方の肘辺りをさすりながら、不貞腐れた子供のように唇を噛む。

「……記憶にございません」

「じゃあ、もう一回言うか」

「結構です」

「情報の伝達は――」

「――仕事じゃないって言いましたよね」

「じゃあ、まずは敬語をやめてくれ」

「……からかわないで」

 そう思われても仕方がない。

 俺自身、どうしてこんなに彼女が気になるのかわからない。

 子持ちの部下に手を出すほど女に不自由しているわけではないし、只野姫のことだって、どうにかしようと思えばどうにかできる。

 なのに、彼女が協力してくれるのなら、それでいいと思ってしまう。

 只野姫の前では、彼女が俺の恋人を演じてくれるのなら、それはそれで面白そうだと。

 そんな風に、女と関わろうとする自分に驚くばかりだ。

 こうして、なんとか彼女を言いくるめて、偽装でも恋人らしいことを求めていることにも。

「本気だ」

「何が?」

「あんたに興味がある」

「~~~っ!」

 口説いているというほどの台詞でもない。

 なのに、顔を赤らめて唇を震わせる彼女は、きっと口説かれ慣れていないのだろう。

 そんな彼女も可愛いと思う。



 可愛い……?



 その言葉が、なんだかものすごくむず痒い。
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