偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

「ママ! れたーみたー?」

「れたー?」

「おてあみ」

「おてがみ?」

「あっち!」

 力登に誘導されて、りとがキッチンカウンターに向かう。

 すっかり忘れていた。

「りき! それはもう――」

「――これ……」

 昼寝の前に捨てれば良かった。

「すみません、室長。ちゃんと確認せずに、私、あんなこと――」

「――いや」

 俺の部屋に行く前に、りとに書置きを残した。

 力登と俺の部屋でシャワーを浴びてくることを書いたのだ。

 だが、それを見つけられなかったりとは、取り乱した。

「ママもれたーかく?」

「え?」

「しっちょーに」

「どうして?」

「さんきゅーって」

 俺とりとが吹き出す。

 まったく、力登には敵わない。

「また今度ね」

「りきのもかいて」

「なんて?」

「しっちょーだいすきって」

 たかが言葉、だ。

 しかも、二歳の子供の。

 なのに、力登を見つめたまま表情を硬められると、こちらも反応に困る。

「子供の言うことだ。そんなに――」

「――しっちよーもりきすきだって」

「そっか、良かっ――」

「――ママもすきだって!」

「え?」

「しっちょー、ママすきって!」

「……」

「ね! しっちょー」

 無垢な二歳児の輝く瞳は、打算と下心に塗《まみ》れた三十四歳の男には眩しすぎる。

「……ああ、まあ……」

 たかが子供の言葉。その攻撃力に驚かされる。

 これは、恥ずかしい。

「子供の言うこと、ですよね」

 りとが力登をじっと見つめたまま、呟いた。

「だな」

 俺は意味もなく二人から顔を背けて、窓の外を見ながら言った。

 夕暮れの空は緋々としていて、なんだか妙に落ち着かない。

 自分の中の、認めたくない感情や欲求が見透かされているようで、そわそわする。

 大好きな自分の母親を狙う下郎な俺を、寸分もなく信頼しきっている小さくて弱い、けれどきっと俺なんかより逞しい力登。

 彼が成長した時、俺のような男が母親のそばにいたと知って、どう思うだろう。



 覚えてなんかいないか……。



「力登」



 覚えているのはきっと、俺だけだ。



「先に言うなよ」

「え?」

 目を丸くして俺を見るりとの頭を、軽く撫でる。

「さて、いちご食べるか」

「いっこーーー!」

 力登が両手を挙げて、喜びを表現する。

 俺は、無防備な彼の脇を掴んで、母親の腕から抱き上げた。

「さっきりんご食べたろ」

「いえいえ」

「調子いい奴だな」

「いえいえ!」

「お前、実は意味わかってるだろ」

「おう!」

 あははははっ! と声を上げて笑う。

 力登も。

 俺は基本、面白みのない男だ。

 俺をクールだなんだと騒ぐ女どもは、俺がこんなふうに子供相手に大笑いする姿なんて想像もしないだろう。

 セックスの時ですら表情を変えないのではと、女が話しているのを聞いたことがある。

 冷静に巧みにイジメ抜いてくれそうだ、と。

 そういうセックスを望む女には、そうしてきた。

 最終的にはスッキリできれば、俺はなんでもいい。

 ある意味、こだわりがない。

 だから、簡単に寝るし、簡単に別れる。



 りととも……?



 彼女に惹かれている。

 それは、もう認めざるを得ない。



 同情じゃないのか?



 一人で力登を育てている彼女、元旦那につきまとわれている彼女に、同情しているだけではないと言い切れるだろうか。



 いつかの皇丞より酷いな……。



 自分に呆れながら、冷蔵庫を開けた。


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