偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

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 彼女の言う通り、距離を置くべきだ。

 りとと力登と過ごした翌日、そういう結論に至った。



 調子に乗り過ぎだ……。



 祝日で良かった。

 顔を合わせてしまったら、意味がない。

 俺は出勤し、昨日の午後に終わらせるはずだった仕事を片付けた。

 仕事をしている時は、他のことは考えない。

 りとと力登の体調は良くなっただろうか。

 昨夜、二人が寝付くのを見届けてから帰ったが、その時点での力登は息苦しくて眠れないといった様子ではなかった。

 りとも、だ。

 いちごを食べて、お茶漬けを食べて、薬を飲んで、かなり楽になったと言ってベッドに入った。

 力登がお粥嫌いだと聞いて、何気なく提案したお茶漬けだが、気に入ってもらえたようだ。

 鮭フレークを入れてやったら、喜んで食べていた。

 なぜお茶漬けを思い浮かばなかったのかと、りとは少し自己嫌悪していたが。



 男の一人暮らしのマストアイテムが、こんなところで役立つとは。



 初めて食べるお茶漬けの味に大興奮の力登を思い出すと、自然と口元が緩む。



 あの様子じゃ、しばらくはハマりそうだな。



 お茶漬けをせがまれて困り顔のりとを思い浮かべると、肩が揺れるほど笑えた。

 そして、ハッとする。



 仕事中に何を考えてるんだ――!



 二人のことを考えないようにと、仕事に出たのに。

 気を取り直してキーボードに指を置く。

 距離を、置くべきだ。



 こんなのは、俺らしくない。

 雑念を払うべく、明日の土曜も仕事をすべきだと思った。

 そして、そうした。

 土曜も出勤した。

 が、半日で帰宅した。

 折角、社長からも寿々音さんからも呼び出しがない、仕事が捗る環境だったのに。

 理由はりとと力登。

 今朝、マンションを出る時に二人を見た。

 元気そうだった。

 顔色も良かった。

 りとの表情は暗かったが。

 二人は黒塗りの高級車に乗り込んだ。運転手にドアを開けてもらって。

 本当にりとと力登かと目を疑ったが、見間違うはずがない。

 その光景が気になって、仕事が手につかない。

 気が付けば、同じ文言を何度も打ち込んでいて、さっぱり資料が完成しない。

 こういう時は、諦めるに限る。

 スーパーで買い物をして、土日は引きこもるつもりで帰った。

 考えないようにしても考えてしまうのなら、考えるしかない。

 どうせ答えなんか出ない。

 ぐるぐると無駄に考えれば、そのうち考えることに嫌気がさすはずだ。

 そうして、考えるのをやめればいい。

 そう思ったのに。

「りと?」

 呼んだ後で失敗したと気づいた。

 距離を置くと決めたのだから、声をかけなければよかった。

 だが、そんな考えも、振り向いた彼女の表情に吹き飛んだ。

「しつちょ――」

 今にも下瞼から溢れそうな涙を溜めたりと。

 いや、口を開いたことで、涙は溢れてしまった。

「――どうした」
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