偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

 距離を置くなんて頭から吹き飛んだ。

 りとが泣いている。

 その腕に、力登はいない。

「力登は?」

「力登は――」

 白いニットに黒のパンツ姿は朝のままで、ただ力登だけがいない。

「――おじいちゃんおばあちゃんの家に……」

「おじいちゃんおばあちゃん?」

「はい……。登さんのご両親です」

「会わせてるのか!?」

 力登を手に掛けるような男の両親だ。

 何をされるか。

「お二人は力登をすごく可愛がってくれているんです。力登も懐いていますし。なので、時々……」

 俺が口出しすることではない。

 だが、無性に苛立つ。

 いくら祖父母で、息子とは違っても、あの男を育てた人間だ。

 信用などできるはずがない。

 りともそう思うから、こうして一人で泣いているのではないか。

「嫌なら会わせなければいい」

「嫌……では――」

「――なら、どうして泣いている」

 ハッとして、りとが手で涙を拭う。

 俺はその手を、手首を掴んだ。

 そして、ちょうど乗客を降ろしたばかりのエレベーターに乗り込む。

「しつちょ――」

 降りた乗客は年配の夫婦で、夫は杖を突いていた。

 妻は俺たちをじっと見ている。

 俺が泣かせていると思われたのだろう。

 当然だ。

 俺の部屋まで上がり、玄関前で鍵を取り出すまで、手を離さなかった。

「室長、私――」

 ドアの内側に彼女を押し込み、廊下に荷物を放ると、俺は彼女を抱きしめた。

「泣くな」

「……っ! ふ……」

 逆効果だったようだ。

 泣くなと言ったのに、彼女は泣いた。

 俺の腕の中で、声を殺して。

「し……ちょ――」

「力登じゃないんだから、いい加減名前で呼べよ」

 髪の毛ごとうなじを掴み、拒む隙を与えずに彼女の唇を塞いだ。

 女の涙に、意味なんてない。

 男を堕とす為、自分を守る為の、飛び道具だ。

 そう思うのに、なぜりとの涙を見て胸がざわつく。苛立つ。

 唇を押し付け、下唇に吸い付くと、彼女の唇が開いた。

 そして、舌先で俺の唇をノックする。

 彼女自ら、俺を迎えてくれた。

 歯と歯がぶつかるほど深く、舌の付け根まで弄るように、舌を挿し込む。

 彼女の口内はやはり、甘かった。

 味わうように、寸分の隙もなく舐め尽くす。

 いつもは、こんなキスはしない。

 口の端から唾液が滴り、顎までベトベトになるようなキス。

 こんな、余裕のないキスは、しない。

 したことがない。

 唇が熱い。

 口内にこもる互いの吐息も。

 互いを抱く腕も。

 我慢できなかった。

 それを、彼女にも教えた。

 腰を強く抱き寄せ、このまま止めなければどうなるかを。

 りとの足の間に俺の足を割り込ませると、彼女のつま先が宙に浮いた。

 ドアについた俺の膝の上に彼女が跨っている状態だ。

 腰を押し付ければ、硬くなった熱に否応なく気づくだろう。

 拒むなら、今だ。

 拒む隙なんて与えていないくせに、そう思った。
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