偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

「登さんが力登の口を塞いでいるのを見た時、私本当に怖くて。登さんの実家に逃げたんです。二人は力登を本当に可愛がってくれていて、私が妊娠してからの登さんの様子がおかしいこともわかっていたから」

 登から逃げて、登の両親に助けを求めるというのが普通のことなのかはわからないが、当時の彼女に助けがあって良かったと思う。

「元――登は子供を望んでなかった?」

 いい加減、登を『元旦那』と呼ぶのが嫌で、呼び捨てた。

「いいえ。でも、子供ができることの意味というか、現実はわかっていなかったようです」

 あるあるだ。

 姉もそうして離婚した。

「自分が一番でありたかったんでしょうね。私がつわりで寝込んで家事ができなくなったことも、セッ……クスができなくなったことも、生まれたら生まれたで力登につきっきりなことも、全てが気に入らなかったようで」

 りとの、登が父親になるには向いてなかった、という言葉に納得だ。

「実家に逃げ込んだ私を追いかけてきた登さんの様子を見て、ご両親が彼を説得してくれて、離婚できたんです」

「だから、力登と会うのを拒めない?」

「……力登にとっては唯一の祖父母ですし、絶対に登さんには会わせないと約束してくれてますし、会わせたくないわけじゃ――」

「――なら、なんで泣いてた?」

「……」

 りとが皿の上のピザを口いっぱいに押し込み、頬を膨らませて咀嚼すると、飲み込んだ。

 だが、そんなことをしても溢れ出る涙は止まらない。

 俺は席を立ち、冷蔵庫からミネラルウォーター持って来て、彼女に渡した。

 りとは何も言わずに受け取り、飲んだ。

「話したくなければ、いい」

 彼女の足元に跪き、見上げた。

 ボロボロと流れる涙を指で拭うが、あまり意味はなかった。

 りとは、はぁっと大きく深呼吸をすると、唇をギュッと結んだ。

 それから、ゆっくりと開く。

「今までは、私も一緒だったんです。でも、今日、預からせてほしいって言われて……。私が一緒だと二人も気を遣うし、力登が私のそばを離れたがらないし、いない方がいいのはわかってるんですけどっ……」

「力登は大丈夫だったのか?」

「お菓子であっさり懐柔されちゃいました」

 これもまた、子供あるあるだ。

 だが、親は意外にもそれなりにショックだろう。

「羽を伸ばしたらいいって言われたんですけど、なんか……」

 そう言いながら、彼女は自分の髪をかき上げた。

 そして、毛先を摘まむと、苦笑いした。

「久しぶりに美容院でも行こうかなとか思ったんですけど、土曜日だし、そんな急には予約も取れないだろうなとか、思って……」

「帰ってきた?」

 彼女が小さく頷く。

「俺にはラッキーだったな」

「……?」

「きみを、抱けた」

 りとが目を丸くして、それから細めた。

「そんなに欲求不満だったんですか」

「まぁな」

「恥ずかしくないんですか」

「全然? 三大欲求のひとつだ。それに、誰でもいいわけじゃない」

「そうですね。只野さんや登さんに見つかると困るから、私ですもんね」

 りとが唇をひん曲げて顔を背ける。

 不貞腐れているような表情の理由が、俺への好意があるからだと期待してもいいだろうか。
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