偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

*****


 翌土曜日、八時三十分。

 俺はTシャツにジーンズ、べっ甲フレームの眼鏡姿というラフな格好で、りとの部屋のインターフォンを押した。

 すぐに、ドアが開く。

 すっぴんにくすんだピンクのTシャツを着たりとは、やはり年上には見えない。

「おはよう」

「おはよう……ございます。あの――」

「――しっちょーだ!」

 りとの足の間から、力登が顔を出す。

「こら、りき!」

 力登に押されて、りとが片足を上げる。

「しっちょー!」

 力登が俺の足に飛びついてきた。

 裸足で。

 俺は彼を抱き上げた。

 口の周りに何かのカスがついているが、本人は全く気付かず、というか気づいていても構わず、満面の笑顔。

「おはよう」

「おは!」

「ご飯は食べたか?」

「おう!」

「美味かったか?」

「ぎゅーぎゅーのんだ!」

「ぎゅーうーにゅーうー」

「ぎゅー――」

 俺の真似をして、力登が唇を尖らせる。

「――うにゅ~」

 なぜか語尾が上がる。

 まあ、いいだろう。

「力登、今日は俺と遊ばないか?」

「おう!」

「ママがいなくても、いいよな?」

「おう!」

「室長、なにを――」

「――というわけで、りとは出かける準備をしろ」

「は!?」

 一週間ぶりの、会話。

 この一週間、りとは俺を避けた。

 挨拶や仕事の会話はあっても、必ず他の誰かがいたし、それですら、目も合わせようとしなかった。

 想定内の反応ではあったが、いい気はしない。

 だが、俺は俺で忙しく、(りと)の尻を追いかけ回す暇などなかった。

 訳がわからず呆けているりとを押し退け、力登を廊下に下ろす。

「力登、おむつを持って来い」

「おう!」

 ペタペタと廊下を走る音が遠ざかる。

「室長、どういう――」

 後ろ手にドアを閉めると、りとの腰を抱き寄せてキスをした。

 チュッと、軽く。

 そして、わずか数ミリだけ唇を離した。

「――力登と男同士の付き合いをしようと思って」

「なんで……です――」

 彼女の言葉を遮り、もう一度キスをする。

 今度は、しっかりと唇を合わせる。

「――っ室長! 力登が――」

「――あんたは十時までにここに行け」

 りとを抱いていない方の手で、自分のポケットからメモ紙を出し、彼女のポケットに突っ込んだ。

「だから、何なんですか!?」

 ドンッと彼女の拳が俺の胸を叩く。

 俺は一歩下がって、彼女を手放した。

「後悔してるのか?」

「何を?」

「俺と寝たこと」

「そっ――いうことを――」

 りとが室内に目を向ける。

 聞かれていたとしても、力登には意味がわからない。

 なのに、息子の気配をひどく気にする。

「――公私混同する気はないが、上司に挨拶するのに目も合わせないのは、どうかな」

「~~~っ」

「それとも――」

 りとの耳元に顔を寄せる。

 だが、指先も彼女には触れない。

「――顔を見ると思い出すか?」
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