偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
「これ――」
「――粒餡の栗最中と、新作の栗餡最中が入っています」
彼女に箱を持たせたまま、蓋を開ける。
確かに、銀田屋の栗最中が三つと、丸ではなくて四角の最中が三つ入っている。
「どうしたんですか? これ」
「午後に来社される、専務のお客様のお茶請けを買いに行った時に、自分用に買ったものです」
自分用に?
四百三十円の栗最中を三つも?
俺は蓋を閉めた。
「助かります」
「いえ」
「因みに、F社社長のお好みのお茶、ご存じですか?」
「濃すぎない玉露です」
「一時間後に、お願いします」
「わかりました」
「うぅ……っ」
嗚咽が聞こえて横を見ると、鹿子木が肩を震わせて泣いている。
「わざとじゃないのに……っ!」
乱暴に箱を机に置くと、彼女は部屋を飛び出して行った。
俺は堪らずため息を漏らす。
来客時の対応について伝えておきたいことがある、だなんて今更な理由をつけて如月さんと秘書室を出た。
「如月さん、本当のところは?」
「専務のお客様のために銀田屋に並んだのは確かです。列の中に見知った顔がありませんでしたので、念のために買いました」
「F社社長がいらっしゃることを?」
俺が鹿子木に遣いを頼んだのは、如月さんは退社した後だった。
「スケジュールは、担当外も把握するようにしています」
さすが、だ。
今、秘書室にいる担当を持たない秘書の中に、F社社長の来社を把握している人間はいないだろう。
話をしていれば記憶するだろうが、重役全員の翌日のスケジュールを確認することはない。
俺以外は。
「助かりました。ありがとうございます」
助けられたのは事実で、それがどんなに不本意でも礼を言うのは当然だ。
苛立つのは、入社一週間で保育園プロジェクトのスケジュールを立て、社屋内に併設する案と、近隣の保育園と業務提携する案の取りまとめまで始めている彼女の優秀さではなく、そんな彼女に助けられるような失態を犯した鹿子木にだ。
「いえ。お役に立てて良かったです」
口調は柔らかい。だが、表情は硬い。
部下の教育がなっていない、と責めるよう。
あの時と、同じだ。
『あなたは秘書として絶対にしてはいけないことをしたのよ』
くそっ!
わかっている。
あの時とは違う。
栗最中ひとつ、だ。
だが――。
「失礼します」
彼女がくるりと身体を捻り、背を向ける。
華奢な、身体。
背が低くて、肩幅も狭い。
俺よりずっと小さな背中なのに。
きっと、抱きしめたら腕の中にすっぽりと包み込めてしまう。
なのに、どうして、こんなに力強く頼もしく思える――――?
「どうして、銀田屋へ?」
肩の上で、艶のある髪の毛先が揺れる。
「え?」
俺は、ゴクリと喉を上下させ、毛先から彼女の目に視線を移した。
数日前にマンションで見た、無防備な表情を思い出す。
まるで別人だ。
「専務のお客様はT&Nフィナンシャルの築島社長でしょう? 銀田屋の菓子がお好きだとは聞いたことがない」
「……」
少しだけ、驚かれた気がする。